2013年2月5日火曜日

この春に読みたい国際政治書


今回は、主に新メン・旧メンの――関東では新たに旧メン、老メンとなった――人々を対象にしてブログを書こうと思う。テーマは「この春に読みたい国際政治書」だ。

1年または2年模擬国連をやった皆さんは、このサークルの議論がいわゆる国際政治と切って切り離せない関係にあることを目の当たりにしたことだと思う。きっと、皆さんは模擬国連のジャーゴンをそろそろ知識として吸収している頃だろう。ジャーゴンというのは、職業言語や専門用語と訳される単語だけれども、模擬国連でいえば、たとえば「アール・ツー・ピー」とか「ヒューマン・セキュリティ」といったものだ。アール・ツー・ピーはアルファベットで表記するなら、R2Pで、これはResponsibility to Protect(保護する責任)の略称を指している。to2と略すのはいかにもジャーゴンっぽいきらいがあるけれど、とにかくモギコッカーは事あるごとにR2PR2Pと叫ぶ。もう一つのヒューマン・セキュリティは、人間の安全保障と邦訳される。もし内容を知らなかったとしても、皆さんはこの2つのうちどちらか片方は耳にしたことがあるのではないだろうか。

こういった模擬国連のジャーゴンは、あまりに量産化されすぎて陳腐になったために、学問的な検討もなく様々な模擬国連の会議の議論や決議案に刷り込まれている。さらに悪いことに、これらのジャーゴンがあまりに蔓延ったがために、模擬国連の場において、これらの概念が再検討されずに世界の普遍的命題のように扱われたり、西洋の第三世界に対する政治的レトリックとしてのみ扱われたりしているきらいがあるように思われる。これはいささか問題があるのではないだろうか。「模擬国連を通して世界を相対的に見る」という、よくある決まり文句に従えば、私たちが行っていることは、自分の色眼鏡を使って「模擬国連を通して世界を」見ているだけであって、決して相対的な視点にたっているわけではない。しかも、その色眼鏡を形成しているのは、深い洞察に根付いた学問的色彩ではなく、日々流れてくる玉石混合のジャーナリスティックな喧噪であろう。

よく分からない、ちょっとカッコいいジャーゴン。それから、Wikipediaで調べればたくさん出てくる、真偽もつかない無数の「国家像」。これらに基づいて、最近の模擬国連の場においては、相手を論駁して「論理的正しさ」を追い求めているように感じるけれども、専門的に理解されていない専門用語とジャーナリズムが作る世界の虚像を用いて世界観を論理的に構築したとして、残るのはいったいどのようなユートピアであろうか。帝国主義的、原理主義的、そういった我々が否定するイデオロギーよりも醜悪な、インテリゲンツィアになれない私たちの夢物語が残っているのではないだろうか。それは砂上の楼閣であって、積み上げたところで歴史の一風ですぐに崩れ去ってしまうものだ。


そのような無益な、もしかすると有害かもしれない試みを防ぐために、私たちは専門知識を単語だけではなく、その文脈も含めて理解する必要性に迫られる。そのときに私たちは、先輩や同期の言葉に含まれる、引用されたジャーゴンを吸収しようという誘惑に負けてはならないだろう。専門知識はあくまで自分の知として吸収しなければ、自らの血に変わることはない。


こうして、私たちが国際政治を国際政治学もしくは国際関係論、そして国際法やそれに準ずる経済学の知識――knowhowではなく教養――が必要とされることが示された。ジャーゴンをジャーゴン足らしめるには、それを使用するものの専門性の裏打ちが必要となるだろうし、玉石混交の情報の中から何かを掬い取るのは、やはり私たち自身の能力にかかっているとしか言えない。この能力を鍛えるには、読書が最長に見えて最短のルートであることは、おそらくよく知られていることだろう。なので、春休みに読む本として、次世代のモギコッカーに次の本をおススメしたいと思う。



J.Mayallが著し、慶應大学の田所昌幸先生が訳された、『世界政治』という本だ。私自身、読書家ではないため、皆さんにあれこれをおススメできる立場ではないのだけれども、この本は読めば読むほど味の出る「スルメ」な古典なので、皆さんの需要に応えることができると思う。Mayallはこの本で、国際政治において冷戦後に変わったことではなく、変わらなかったことについて淡々と論じてくれる。本のテーマは、「主権、民主主義、介入」であって、それぞれが密接に相互に絡み合っている論題なのだけれども、Mayallの素晴らしい叙述は、読者を混乱の淵におとしいれない。国際政治の多くの知識を必要とするけれども、この際読みながら勉強するのが一番いい。Mayallは、こちらが間違った知識に逃げなければ、体系だった一つの国際システムを僕らに見せてくれていると思う。田所先生の訳がまた秀逸で、これが翻訳書だろうか、と何度も思わされる。難解な国際社会を紐解く本書を、案外スラスラ読みこなせるのは、訳者の素晴らしい含蓄があってのことだろう。心から敬意を表したい。

というわけで、長くなったかもしれないけれども、ここで「この春に読みたい国際政治書」の紹介を終えたい。どちらかというと、何故読まなきゃいけないのか、という方向にブログの趣旨が流れてしまったけれども、この本を敬愛している私の心が皆さんに伝わっていれば幸いだ。Mayallの本の一節を借りて、今回の執筆を締めくくろう。



この書物で提起した第三の命題は、やや思い切った推論である。それは、政治的レトリックや進歩主義的な願望と、現実の動きや利益の世界が乖離してしまい、その結果世界政治で危険な断絶が生じているのではないかということである。わたしは、このギャップが一種の「仮想的リベラリズム」によって隠蔽されているのではないかと示唆した。これは伝統的な世界政治、というよりはむしろ政治一般における偽善――それはいつも悪徳が美徳に払う敬意のようなものだが――の範囲を超えるもので、伝統的に必要とされてきた権力と責任の結び付きを危うくするにいたっている。一九九〇年代前半の国連安全保障理事会が、人道的大破局を終わらせようという意向を繰り返し示したが、それに必要な資源を提供したり、人道問題のもとにある危機を解決する真の政治的意志を示したりすることはなかったということは、よく知られている実例の一つにすぎない。――ジェームズ・メイヨール著/田所昌幸訳『世界政治――進歩と限界』p.3”

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%94%BF%E6%B2%BB%E2%80%95%E9%80%B2%E6%AD%A9%E3%81%A8%E9%99%90%E7%95%8C-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4326351454

2013年1月29日火曜日

「聞く」力とコミュニケーション




 本日、とある国際法の先生の研究室を訪ねました。来年度に宇宙法にゼミで少し触れるかも、とのことだったので、宇宙政治に興味のある私としてはいてもたってもいられなくなったわけです。その先生は、今年度英語ゼミも担当されておりまして、私は持病から欠席数が多く、非常に申し訳なかったのですが、堂々と国際法とは何か、とか、宇宙法の話も絡めたキャリアデザインについて、約2時間も話して頂けました。(こういうところ、察して要点をまとめて質問し、帰られない私はダメな学生なのですが)


 その結果、法学とキャリアについて少し再考することができました。元来、私は法学(=法解釈学)が食わず嫌いなところがありまして、法律を学ぶなんぞ「上から」の押し付けルールを受容するだけの権力の化け物になるだけだ、と考えていたんですね。法律とはリヴァイアサンのようなもので、リヴァイアサンを抑止するための正義を社会科学者は構築すべきなのだ、というのが信条でした。(しかし、社会的決定理論は絶対的民主主義など存在しないことを明らかに僕に示してくれました)今日の自分の中でのコペルニクス的転回は、利潤最大化を目指す各個人をセーブするアドバイザーとしての法律学徒の在り方でした。裁判での勝ち負けによる、捻じ曲げられた正義(正義は見方による?)の決着に着目するよりも、むしろ行為が起こるまさにその瞬間の人間の判断そのものに、リーガルマインドをいかに与えるか、という法学の役割に気づかされたのです。結果ではなく過程にこそ法律的視点は必要なのかもしれません。そう考えると、答え(答案)の結果にリーガルマインドを求めることの空虚さや、結果に至るまでの過程の大事さが身に染みます。


 とりあえず、「法学」についての話はここまでにします。


 この教授は、指導する立場にない(私はこの先生の授業は1コマしかとったことがありません。学士と教授に指導関係があるのかどうかは分かりません。今回はオフィスアワーとして利用したわけではありません)にも関わらず、親身に私のキャリアデザインを考えてくださいました。その中で、自分の専門分野の“私の”キャリアデザインの中での位置づけを一緒に考えてくださいました。


 見渡してみると中々このようなことができる方に巡り合ったことはありません。まず、第一に親身になって一緒に話を聞いていただけるだけの「聞く」力を持った方がそれほどいません。次に、自分の専門分野が相手の立場に置いてどのような位置に存するのかを理解できる人がそれほどいません。最後に、専門分野と実社会の結びつきを考慮に入れている方がそれほどいません。この三条件を満たす人に巡り合うことは、なかなか難しいのではないでしょうか。


 模擬国連で自分がアドバイスを求められたとすると、上の三条件を満たすように努力しないといけないですね。最初の「聞く」力。これ、あまり自分は持ってないので、高めたいですね。相手がいったいどういう考えを持っていて、どういう状況にいるのか。上手く把握しないといけません。次の条件、「専門分野が相手の立場においてどのような位置に存するか」。モギコク内での専門分野といえば、たぶんプロシージャーとディレクの仕事でしょう。この二つはなかなかに自信があります。けれども、自分は大会のディレクをやったのであって、研究会のディレクをやったわけではありません。相手がディレクとしての自分の体験、オーラルヒストリーを求めている場合は、相手が求めている自分の歴史を選別する必要があるでしょう。最後の条件、「専門分野と実社会の結びつき」。これは、うーん……。ディレクの体験でいうと、研究中の人間関係とか、大学の単位とか(苦笑)でしょうか。なかなか明確に、しかも負でなく正の印象を持ってもらうことは難しいように思いますね。逆に言えば、なのですが、ここで負の印象しか語れないことが、近年のディレク離れ(私は、ディレクになりたいと言う人が減ってきているように感じます)を生んでいるのかもしれません。ディレクの良さを具体的にはなかなか語れません。


 最後の条件は、もしかしたら、抽象的な専門分野の良さではなく、具体的な専門分野の良さを述べる、というふうに言い換えることができるのかもしれませんね。そうなると、文学的な比喩の素養も求められるような気がします。なんか大変になってきましたね。この辺で終わりにしましょう。


 今日の記事は、かなり書きなぐりの、結論の無いノートのようなものですが、お読みいただきありがとうございました。

2013年1月10日木曜日

自省――"Power"を認識すること

こんにちは。
新年も明け、すっかりテスト週間になりましたね。

模擬国連を離れてかれこれ3週間くらいです。まだ抜けきってないです。はい。
進路も全然未定でお先真っ暗なんですけど、ちょっと面白い動画とか見つけたんで、紹介したいです。




その前に、動画の前振りで、模擬国連の話をします。

模擬国連、やっている人なら分かりますけど、交渉ゲームです。
国連総会という場で言葉の討論をして、票を集めて決議案を通すシミュレーションです。
多分、こんな定義で大きな間違いは犯してないでしょう。


このゲーム。総会は一国一票ですから、私たちは結構票集めに必死になるんですよね。
議論も大事なんですけど、最後は票を集めたほうが勝つんです。
だから、ほんとは最初からG77+Chinaって言われている、国連の途上国グループが強いんです。

模擬国連のディレクターさんたちはつまんない会議をみたくないエゴイストばっかりですから、できるだけ先進国と途上国の数の差を縮めて、このG77+Chinaと先進国をイーブンな状態で戦わせて、議論させようとするんですね。

で、さらに模擬国連には、シミュレーションの後のレビューってものがあります。
ここで、エゴイストなディレクターさんたちは、「アメリカと交渉していないのは遺憾だ」「多国間協調の精神が足りない」とか言うわけです。

私たちもぎこっかーは、ディレクターのご都合主義というか、議論を成立させるための場づくりの中で、いつの間にやら多国間協調の世界の中にいるんだ! という、まぁ最近の世間でもありていな認識の中に立つわけですね。多国間協調の意味は曖昧ですけど。


もともともぎこっかーを目指される方は、国連を理想的に見ているきらいがあるので、そういう方向に自分も向きたいという願望があるので、当然そのディレクターの意思にのって、慣習として「できるだけ議論しなければいけない」という方向に流れていくわけです。
(言い方少し悪いですね。ごめんなさい。私も高校生の頃は国連は綺麗なところで、開発とかやってるとこだと思ってました)



けれど、もぎこっかーの私たちが見落としているものがあります。

"Power"です。

国際関係論をやれば、真っ先に出てくるこの単語。嫌いな人も多いでしょう。でもしっかり向き合わなければいけません。


先ほど、「アメリカと交渉していないのは遺憾だ」という話をしましたけれども、これは"Power"という面からは確かにその通りな話で、アメリカとアメリカ以外の世界の軍事費は現在ほぼ拮抗状態にあるんですね。軍事面だけでなく、経済面、知的財産面、あらゆる部分でアメリカの"Power"が強力なことは言うまでもないことだと思います。


ところが、そのPowerがtransitしていることも事実でしょう。大事なのは"Power Transition"を分析することで、今後の未来をどうデザインすることだと思います。アメリカ優位な世界から、徐々に中国が強力になっていってますね。2010年には中国の名目GDPが日本を抜きましたよね。だから米中2強になっていく。これからはG0なんだ、という人たちもいますけど、それでも米中が強い。

さらに、BRIiCSという存在もある。一応国を書いておくと、ブラジル・ロシア・インド・インドネシア・チャイナ・サウスアフリカですね。こういった存在にパワーがシフトする。しかも、これだけじゃなくてNext 11っていう潜在的な国々もいる。


僕らは"Power Transition"を無視しすぎなんじゃないでしょうか。


模擬国連だけじゃないです。むしろ模擬国連の知見を現実に活かすときに、これからの日本でどう生きていくのか、そういった未来予測に"Power Transition"の要素があまりに組み込まれていない。これは私たちが軍事費とかそういったものに着目しなかったり、就職活動の最適行動がこういった"Power Transition"に着目することではなかったり、さまざまな要因があると思います。

けれども、少し考えないといけないことがあります。僕らがバリバリに働くことができるのは30代後半から40代だとすれば、20年間の変動というものを考えないといけない。

20年前。日本はジャパン・アズ・ナンバーワンだった。バブル最強でしたよね。そして冷戦が終わった。
ところが、僕らがここまで生きてくるあいだに世界は大きく変わりました。北朝鮮が核を持ったのは僕らが生きてる間ですし、中国に抜かれたのも僕らが生きている間です。ユーゴもそうですよね。
20年で世界は変わるんです。バリバリに仕事をする頃ってのは、今とは違う世界のはずです。

では、冷戦後の20年間を見てきた僕らは、この後の20年をどう予測すべきなのでしょう。


この予測に、模擬国連が非常に有用だと、僕は思ってるんですね。
そのためには"Power Transition"を理解して政策立案・会議行動を行う必要があるわけですけれども、じゃあどう理解するか。

僕は今日、ある動画を見て、非常に感銘を受けました。
慶應大学のオープンキャンパスの動画です。


例えば、30年後くらいにもしかしたら中国がアメリカに「軍事費で」キャッチアップするかもしれない、と言及されています。
例えば、その中国に対してアジアが連携すれば、なんとか対抗できるかもしれない、と言及されています。
ゴールドマンサックスやSIPRIの統計から、いったいどんな未来が見えるのか。オープンキャンパス動画だからってナメないほうがいいと思いますよ。私は喝を入れられた気分で、これまで模擬国連で何をやってきたんだ、と思い知らされました。自省です。


それでは、動画を見てください。4分割の動画で40分くらいですが、間違いなく見て損はないです。






2013年1月5日土曜日

模擬国連を去る前の最後の会議の7つの心構え

あけましておめでとうございます。今年もこのブログ、もう少しだけ続けさせていただきます。
昨年同様、変わらぬお付き合いをどうぞよろしくお願い申し上げます。



さて、年末の全日本大会、皆さんどうだったでしょうか?

Facebookを見る限りでは好評価ですね!
……って、それはある程度当たり前のことなんですね。

模擬国連は発言した人が楽しくなるサークルなので、そういう人がよく投稿するFacebookで模擬の会議の評価が高まるのはあたりまえ。
今回の記事は、そういった「もぎこっかー」ではない人たちに向けて発信します。



すなわち――全日本大会に参加しなかった人、参加したけど能動的に楽しめなかった人、最近模擬国連で中途半端に活動してるなぁ、模擬国連にいるけど会議はちょっと……、という人に送ります。


そういう人たち、だんだん模擬国連が嫌になっていませんか?
サークルの変え時かもしれないこの時期。模擬国連じゃないところに羽ばたいてみよう。
アリだと思います。実際、(大学生6年間やる私は微妙ですが)私もそういう立場にあるので、お気持ちは理解できます。

……でも!!

最後に一回だけ、会議に出席してほしいんです。
それは春会議

次に所属するサークル活動を決めるのは新春からですから、その前の春会議に、最後の最後に自分が模擬国連にあっているのかどうかを確認してほしいんです。

もしかしたら、楽しみ方を知らずに模擬国連会議が楽しくない、と思っているのかもしれませんから。



そこで、私から、模擬国連会議を楽しむための7つの心構えを用意してみました。
これをやって模擬国連会議が楽しくなければ、本当に模擬国連に向いていないんだろうと思います。

これだけやってだめなら、模擬国連を去るのも一つでしょう。
でも、たくさんの人は、これをやって模擬国連の魅力に気づくと思うんです。逆に言えば、これをできてないから模擬国連が楽しめないのかもしれない。今はまだ、本当に模擬国連が好きかどうか、分からない状態だと思います。

だから、春会議。この7つの心構えを実践して、挑戦してみませんか?






【リサーチ編】

・BGを読め!
 これまで、BGを読まずに会議に参加したことはありませんか?
 一度、じっくりBGを読んで会議に参加しましょう。


・担当国に誇りを持て!
 担当国のリサーチをやったことはありますか?
 国歌を聞いたり、「地球の歩き方」を読んだりして、関心を深めましょう。あなたは大使なのですから!

【リサーチ・会議間の準備編】

・文言を準備しよう!

 文言を準備してくるのとそうでないのとで、会議の面白みが一気に変わります。
 文言を作ると、その文言を守るために何を考えなければいけないか、賛成してくれる国をどうやって増やそうか、と夢が膨らみます。
 しょうもない文言をたくさん作っても仕方がないので、洗練された文言を3~5個用意しておくのが、会議を楽しむコツだと思います。

【会議行動編】

・準備した文言について話せ!

 さぁ、会議です。喋りましょう。え、喋るネタが無い? 準備したじゃないですか。
 「あなたの文言について」ですよ。
 スピーチでもインフォーマルでも、自分の文言の素晴らしさを訴えてみてください。その機会をずーっとうかがっておくんです。
 賛成する国が増えたとき、めっちゃうれしいですから。 


・論破されても投票は変えるな!

 最近、ロジモン(ロジックモンスター)という言葉が流行っているそうです。
 ロジモンのひっさつわざ! 「ろんぱ!」 みたいな感じで、模擬国連では論破って言葉が拡がっていますよね。
 某ネット掲示板ツーchなどでも「完全論破」とかそういう言葉があるみたいで、筆者はあまり好きではありません。
 論破したところで国際問題は変わらないです。(私見では、むしろ相手の態度が硬化して険悪なムードを醸成すると思います)心から納得しない限り、論破されても投票行動は変えてはいけませんよ!

・妥協できない文言が通りそうなときは、共同で反対する仲間を頑張ろう!

 さて、論破されて自分の文言が潰されそうなとき、また相手の文言が通っちゃいそうなとき。
 仲間を探しましょう。
 あなたはアメリカとかを担当していない限り、独りではありません
 たとえ投票で負けるとしても、一カ国でなければ、反対することで国際社会に「反対意見もあるんだ」という証拠を残すことが出来ます。これ、大きいですよ。決議を残すことが大使の仕事じゃないですよね。国益を得ることですよね。

・絶対に空気に流されるな!

 コンセンサスとかいう空気、多いですよねー。
 ダメですよ、こういう空気に飲まれるのは。
 反対すべきポイントがあれば、仲間を作ってコンセンサスをやめさせましょう。
 ここで「会議や会議を作ってくださった研究会・ディレクに悪い」なんてこと、思わないでくださいね。
 あなたは会議中は研究会の会員じゃないんです。一国の大使なんです!



大使やってましたか!!

大使やらずに模擬国連去らないでください……
(><)
OBからの切実な願いです。




以上、少し長くなりましたが、春会議に向かう新メンへ7つの心構えを提示しました。

私の友人にですが、「模擬国連は何でもできる」ということを言っている人がいました。一方で、ある人にとっては「何でもできない」場所であることは否めないと思います。でも、辞めるのは、本当に「何もできない」場所なのか、一度確認してからでも遅くないんじゃないでしょうか。

多くの人がステップアップとして利用する春会議。一度全力でぶつかって、模擬国連が自分にふさわしいかどうか、確認してみませんか。

願わくば、この投稿で模擬国連が好きだよ! という人が増えんことを……

2012年12月20日木曜日

自助の精神とPPP


このブログに「勉強会の風景(続く)」という記事がある。
全然続いていないじゃないか、と言われそうだけれど、その通りです。すいません。

研究会と模擬国連会議の大会の役割についての一考察を書くつもりだったんです……。


ただ、少し状況が変わりまして。
今日をもって日本模擬国連(JMUN)を離脱して、もぎこっかーを辞めることにしました。

もぎこっかーを辞めてもMUNerは辞めない、なんてわけのわからんこと言ってますが、自分の中で一つの区切りをつけることは間違いないです。

そこで考えました。

研究会と大会の話は、一般peopleになって会議を開いたときに、改めて喋ればいいかな、って。


もぎこっかーを辞めても、2月には会議開くんです。ディレクやるんです。不思議ですよね(笑)
お前それはおかしいやろ、って言われるかもしれませんが、まぁ本人がこう言ってるんでそう言わせてやってください。




で、もぎこっかーを辞める今日に何を書くか。

だいたい決まってました。

「自助の精神とPPP」が今回のタイトルです。


PPPといえば汚染者負担の原則。なんか一部界隈ではPPP="Position and Policy Paper"らしいですけど、ここでは違います。

Practice, Practice, and Practiceです。



とりあえず今日皆さんにお伝えしたいのはこれだけなので、後はこの言葉に意味づけしていくだけになります。




1. ガラパゴス模擬国連



さて、自分が発した言葉の中で、モギコク界隈で最も知られているのは、たぶん

「ガラパゴス模擬国連」

じゃないのかな、って思うんです。

今振り返っても、たぶん自分がモギコクヒストリーに何らかの影響与えたか、って言われたら、
この言葉の精神にのみ自分の意義が認められるんじゃないかな、って思ってます。


この言葉の意味は、「日本の模擬国連、とりわけ日本模擬国連の会議はやたら難しい。
どう難しいって、知ってる人しか楽しめないような構造になっている。
国際的な潮流とも違うし、かといって効率的とはとても思えないような仕組み、慣習ばっかりだ。
まるで鎖国していて、独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の動物みたい」ってことです。


よーするに、今のモギコクは時代遅れって指摘したんです。

ガラパゴスにはガラパゴスなりの魅力があるのかもしれませんけど、私に言わせればWPとかP/I(Point of Information)ってのは絶対悪です。
あんなん制度的に存在不可能ですよ。

今日ここでずっとその話してもいいんですが、今回の本筋はそこじゃありません。


この「ガラパゴス模擬国連」という言葉を発するまでの覚悟。そこに至る経緯。そっちが大事です。




この言葉は、アンチ・ガラパゴス=ウィルスとなる独自プロシージャーを運用しないと、大会で発言してないでしょう。
この言葉は、自分の議題構想を理解して現実の議場に持ち込んだ議長の助けがなかったら、出現していないでしょう。
この言葉は、自分がディレクをやっていないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分をディレクに誘った大会DGがいないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分が海外の模擬国連に出てないと、出現していないでしょう。
……


延々と条件が浮かびます。

これらの条件、少し自惚れますけど、自分の「信念」がなかったら、繋がることがなかったと思います。

海外の模擬国連に出席する機会をたまたま手に入れて、そこで発見した問題意識。
その問題意識を実際に形したのは、自分の信念に他なりません。
たくさんの助けをもらいました。たくさんの力をもらいました。
でも、信念がなかったら、関西大会のディレクあいさつで「ガラパゴス模擬国連」って言葉が生まれることはなかったでしょうね。


こんなことを言うのは、自分のこれまでの経験があるからです。





2. 教訓をくれた「失敗」たち



プロシージャーを変更して、模擬国連の統一プロシージャー作り。
関西圏でシステマティックな学習機会を設けるための、1年間の各会議の工程表作り。


いろいろやりたいことはありました。この2つは、その中でも自分自身で実際にやってみよう、と試みたものです。

両方とも失敗しました。
その理由はいろいろあるんですけど、やっぱり自分でコストを払うことを躊躇したからかな、って思いますね。そこまで言わなくても、コストに対するかなりのリターンを要求していた。

2つとも、企画書を書いて、実際に諮問させるところまではいきました。
ただ、そこで反対されたときに、それでも「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力は無かったんですよね。

振り返れば、この2つ、もし企画段階で賛成されていたとしても、うまくいってなかったんじゃないのかなぁ。


「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力が必要な理由は、結構明白です。



今読んでいるもぎこっかーの人は、運営畑、研究畑、デリ畑のどのカテゴリーに属していますか?

自分は多分研究畑なんです。

で、もぎこくの研究会執行部とか大会運営って、運営畑と研究畑が混ざるじゃないですか。

基本的には研究畑の人がやりたい議題とか、研究畑の人が持っている問題意識を解決する企画が実行されるんですけど、
これ、運営畑の人にどうしてもウケが悪くてね。ウケが悪いって、印象が悪いわけじゃありません。そうじゃなくて、熱を共有することがなかなか難しいってこと。

やっぱ、運営畑の人って研究なんてある意味どうでもいいんですよ。笑

運営の人は、議題の研究とかプロシージャーとかそんなことより、リーダーシップとかフレンドリーシップとか、
もしくは人間関係の発展・維持のほうを重視していると思います。別に非難してるわけじゃないですよ。でも、研究畑の人間とはちょいと思考が違うんじゃないかな。

時たま、研究畑が力を入れたいところ、運営畑からは「どーでもいいじゃん」って思われるところが出てくるんですね。
で、これが結構両者の中で大きな違いになってくる。もしかしたら、互いの人間関係に悪影響を及ぼすかもしれない。

そこで、「俺は何と言われてもやる」って言えますか?

多分、ここでそう言えないんだったら、友情とか場の空気とか、そういうのに飲まれて自分のやりたいことをダイレクトに実現できないんですよね。



運営畑の人も一緒だと思います。

研究畑の人間は、はっきり言って変人が多い。(変人じゃないとやってらんないことが多いからですね)

そういう人を運営に入れていると、場の空気を維持するために、意見を切り捨てることが必要になったり、
もしくは反対論を押し切ってでも企画者のおぜん立てをする必要が出てくる。

ここで、自分のポリシーを貫けるかどうか、が問われてくるでしょうね。

貫けないなら、1年間の運営はなぁなぁで終わり。「頑張ったね」の声はもらえると思います。けど、なんか虚しくないですか。それは。
貫けたなら、少し衝突することはあるかもしれないけれど、何か残るんじゃないですかね。


勿論、柔軟性を失ってはいけません。けれど、研究も運営も、自分の「やりたいこと」「ポリシー」そういうものがあるんだったら、実現まで走りきらなきゃいけません。たぶん、助けは勝手にやってきます。


統一プロシージャーの策定とか、会議の調整(研究調整部門って呼んでました)とかは、ノンストップで走りきれんかったんですね。ここらで諦めざるをえんか、そんな思いがあった。だから反対論が出たときに、自分の意見を押し通せなかったんですね。有体に言えば、失敗(リスク)を恐れて失敗した(やらなかった)。



じゃあ関西大会はどうやったか、ってことなんですけど、これは自分の中では結構うまく覚悟を持てた。途中止まりかけたときはあったんですよ。でも、背中を押してくれる声があって、それで再始動できるくらいには覚悟があったんですね。だから最終的に、かなり思い切った独自プロシージャーを作れたと思っています。野心的な準備期間もできました。宇宙会議で46人って、なかなか考えられないですね。

割と賭けでした。エッセイ式のPosition Paperなんていうのは、下手したら誰もまともに書いてくれないかもしれないわけです。書いてくれなかったら、事前交渉というのは禁止してましたから、当日の議論にしか期待する余地が無くなる。当日の議論なんて、下準備が無ければ薄っぺらいものになるでしょうから、参加者も自分(会議監督)自身もつまんないものになったでしょうね。それが実際は、46人中44人がペーパーを提出した。

こんな賭けができたのは、ひとえに意志があったからです。失敗してたらどうする、って反論はありますよ。まぁその時はその時で、たぶん来年あたりに全日で再チャレンジしてるんでしょうね。それはIfの世界です。






3. 意志を実行するということ



「俺は何と言われてもやる」って言葉のなかで、一番大事な部分は「やる」ことですね。

Practice.

これが意外と難しい。

他人の協力があればそんなに難しくはないんですけど、日本の模擬国連って、そこらへんの共助関係がうまくできてないんですよね。残念ながら。足の引っ張り合いが多い。

先ほど運営畑と研究畑の違いを話しましたが、背景にはそういった事情があります。それから、多くの人が「俺は何と言われてもやる」っていう状態になると、企画に出る参加者の取り合いになりますから、競争原理が働く。日本のもぎこっかーは、この競争を嫌うんですね。和をもって尊しとなす。そんな意識があるのかもしれませんが、とりあえず今ある組織で対応しようとする。共倒れは嫌なんですよ。新しい企画をやるくらいなら、今ある企画をレベルアップさせた方がいい。分からんでもないです。

とりあえず今ある組織で頑張ろうとするので、そうなると運営畑の縦の繋がりが生まれます。前年度やその前の年の同じ役職の人に、意見を聞くでしょう? あれです。縦の繋がりは結構保守的で、当然のことですが、新年度の運営畑は前年度の運営を継承しようとします。そうすると、革新的な意見はなかなか通らんくなる。これはいいことでもあるんですよ。新しいことに挑戦することはやっぱりリスキーですし、失敗すると集団にかかるダメージはでかい。だから、大きな組織になればなるほど、だんだん保守的になるはずです。
でも、何かにチャレンジする個人にとっては障壁ですわな。そういう人は、この障壁をどうするか、が大事です。




① 障壁を飛び越える列車に乗る


これがベストな解ですね。ディレクで実現できそうなことだったら、大会のディレクをやる。(大会という列車に乗る)その上で、少し無茶をやらかす。ある程度大会の方針に従っておいて、譲れない線は妥協しない。少し怒られるかもしれませんけど、人を利用する上手いやり手ですね。



② 障壁を迂回する


①ができないとき、どうするかが大事です。
つまり、「ディレクをやりたい」と言ったときに、君の言ってることは相当に無理があるからやめとけ、って言われたときですね。

これ言われるってことは、企画してるものが相当リスキーなものってことなんで、企画の再精査をやることをおススメしますけど、単純に人間関係で障壁を飛び越える列車に乗る機会を失うこともあるんですよ。そういう人、いますよ。

「俺は何と言われてもやる」ですから、やらなければいけません。男児たるもの、退くわけにはいかんでしょう。(別に老若男女関係ないですけど)

お利口なやり方ではないですけど、こういうときは、組織から離脱する、という方法があります。

自分もやったことあるんです。(現在進行形でもやってます)


研究会の会議って、まぁいろいろ面倒なものでして、「今ある会議」に人を集中させたいがために、なるべく新規の会議を開かせないようにするんですよ。
いろんな名目を使ってね。

実際問題、1ヶ月に1つ以上の会議は参加者にとってかなりの負担ですから、この方針は合ってるといえば合ってる。でも、特例っていろいろあるわけで、そういうところを突けば自分の意思を実現させられるかもしれません。


こういうときに、「日本模擬国連の会議じゃありませーん」って言って、会議をやることがあるんですね。
(というか、私がやってます)

今年は全日本大会と応募期間が被る私的な会議を開いてますし、去年は全日の一週間前に会議をやってます。
当然怒られますし、全日に影響しないように配慮はします。

でも、関西にいたら全日に出ない人は山ほどいるわけで、そういう人で出ないと決めきってる人は何があっても出ないわけです。
その人たちからしたら、全日前後1ヶ月ほどに会議をやれない、っていう縛りは不条理なんですよね。

だから、去年はこの縛りがない状態にするために、少なくとも名目上は「日本模擬国連」の外の会議にしたんです。

今年も何か言われないために外の会議にしています。

企画を妨害する組織の壁を迂回する方法はあるわけで、問題はそれを実行するだけの意思があるかでしょう。






4. まとめ――Practice, Practice, and Practice



さて、正直今日は(も)筆が乱れています。あっちへいったり、こっちへいったり、ですが、ここまでのことを無理やりまとめてみましょう。

まず、自分が「やりたいこと」自分の「ポリシー」を貫くこと、そのための信念が必要ということを言いました。
そして、その信念を「俺は何と言われてもやる」と言って、実際に形にすることが大事と言いました。



要は、「やる」ことが大事。


周りをうまく動かす、とか、他人の助けを巧く借りて、とか。そういった予防線はいけないんですね。
自分が率先してやれるかどうか。企画の生命線はその問いに存在してます。


計画も大事ですよ。
plan-do-check-act cycleっていう、いわゆるPDCAサイクルとかを使って、上手く計画→実行することも時には大事かもしれません。


でも、学生時代っていう時間が有り余っている環境では、成功の是非は単純に"do"と"act"にあると思います。
やるかやらないか。実に単純ですね。

(※ PDCAの批判してるわけじゃありません)


模擬国連でプレゼンテーションを学ぶ機会がありましたが、その時の講師の方が仰ったことには、プレゼンテーションは体得するもので、ひたすら「やる」こと、つまり"Practice, practice, and practice"――とにかくpracticeが大事なんだ。そういうことでした。

精神論に聞こえると思いますが、的を射ていると思っています。


今回のブログ記事では、ちょっと意味は変わってしまうんですけど……このPPPを大事にしたいです。

人を動かしたり、説得したり、そんなことの前にまずpractice。
協力してくれるかどうか、迷う前にまずpractice。
Practice, Practice, and Practice.


Practiceの一歩が踏み出せないなら、きっとその企画は価値が無いか、魅力が無いかのどちらかです。



私じゃなくて、一歩を踏み出せないあなた自身の行動が、そう言ってるんですよ。きっと、ね。



http://12thkmuncdisec.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.htmlで書きましたが、
今の日本模擬国連は異常です。来年の運営代表がまだ未決定ですから。

このような時代では、事務局や代表者といった、上の階層からの「助け」はあまり期待できないんじゃないか、と思いますね。
上の階層の方々、現役を並行されているかもしれませんけれど、やっぱり彼らには彼らなりの優先順位があって、現場でデリデリしながら"Practice"する人たちの優先順位と必ずしも一致するとは思えんのです。

なんかの映画でありませんでしたっけ。事件は会議室で起きてるんじゃない、とか叫ぶやつ。
運営は会議室で起きてて、企画は現場で起きてるんじゃないかな。

そして、残念ながら上の階層には上の階層に山ほど仕事が残っているし、宿題が積み重なっています。いやーな縄張り意識に基づく官僚主義的なところも、どうしても存在すると思います。

だから、これからはどの研究会も個人も「自助」を目指さんといかんのです。自分で"Practice"を完遂する意思をもたないと。
じゃないと、期待してた助けがなくて、思わぬところから崩れていくんじゃないかな。





自助の"Practice"スタイル、私は現在の駒場研究会の「ケンブリッジ国際大会」出場とかに萌芽がみられると思ってます。

期待したい企画です。これからはこんな企画が日本の模擬国連の未来を切り開いていくんじゃないかなぁ。

そういう企画が増えれば、ガラパゴス模擬国連もなんとかなる。そう信じます。













ここまで偉そうなこと書いてきましたが、日本模擬国連にはお世話になりっぱなしで、貢献できたかと言われると怪しいです。
運営畑には散々なこと言ってますけど、彼らなしには自分はいませんし、感謝することでいっぱいです。

不遜な言い回しをしてます。でも、約3年間で学んだことの大事なエキスだと思います。これを書くことで、少しでもJMUNへの貢献になっていれば幸いです。



See you, JMUN.
マヤ歴が終わっても、日本模擬国連は永遠に。


2012. 12.20

2012年12月19日水曜日

BG公開

私のもぎこっかーとしての旅も、ほとんど終盤に差し掛かってきました。


そこで、これまでのもぎこっかーlifeの中でももっとも力を注いだ関西大会のBGを公開しようと思います。


BG(Prevention of an Arms Race in Outer Space) vol.1

BG(Prevention of an Arms Race in Outer Space) vol.2


上のリンクをクリックすると、関西大会のBGを閲覧することが出来ます。


【追記 2013/4/28】
BG vol.2を公開しました。
第11章では、若いながらも頑張って国際関係の概要をまとめました。ぜひご覧ください。



宇宙の軍備規制の政治状況・法規制というのは、なかなか研究資料を集めるのにも困難なことが多く、もし将来模擬国連会員で宇宙の軍事競争についてリサーチしたい、という人が出てきたときに、少しでも参考になれば、と思います。


本BGでは最近のTCBMの動きやSpace Traffic Managementの動きを追えなかったことが心残りでもあります。将来、どのように状況が変動しているか分かりませんが、ぜひとも最新の知見を探求してほしい、とまだ見ぬ将来のディレクターにエールを送りたいと思います^^


閲覧はもちろん、引用も許可します。引用する際は、しっかり引用元を明記してくださいね。
それから、孫引きはダメですよ。基本は原典にあたるのがマナーです。このBGは、原典への道しるべと思ってください。

2012年12月16日日曜日

大事件に思うこと。


自民党圧勝の衆院選模様が伝えられる中、ひっそりと今週末に、模擬国連業界でも次の代表を決める運動が行われていた。



ところが、今年は事件が起きたようだ。

昨年からの改革運動を受け、関東事務局と分離されることが決まった「JMUN Office(仮称?)」。
そして従来の関東事務局の主要役職。


これらのすべての役職が、空席となったと聞く。



これは前代未聞の大事件ではないのか。

日本模擬国連設立から数年しか経っていないけれど、その前団体も含めて、これまでこういったことがあったことはないんじゃないだろうか。

私は関西の人間なので、関東でどのような運営が行われ、どのように引継ぎが行われたのかは詳しくは知らない。

けれども、一会員としてこの事態には非常に強い危機感を覚えているので、筆をとっている次第だ。




おそらく、関東事務局がこれまで日本模擬国連の中枢業務を担ってきた歴史を考えるに、この役職空席の事態が長引けば長引くほど、日本模擬国連にとっては損な状況が続く。

ひとまず「延期」なのか「暫定措置」なのかは分からないが、現運営陣には速やかに何らかの措置を求めたい。


私としては、現運営陣はどうしても就職活動など様々な行事があるため、現運営陣をそのままそっくり事務局として任期を延長する「延期」は適していないと考えている。

そのため、何らかの暫定措置が必要なわけであるが、関東研究会/支部会長のいずれか誰かが事務局長暫定代理を務めたり、関東事務局不在のまま関西事務局がJMUN Officeとして存在したり、いくつかの方策があるのだろうと思っている。

どのような方策が取られるのか、注視したい。





さて、運営側の視点はさておき、このような状況は何故起き、そしてどうすれば解決できるのかを「マンパワー」に着目して、少し考えてみた。




現在の模擬国連は「人間不足」と言われている。
関西総会でも数回にわたり言及されたし、関東のこの現状を見れば、この言い様は理解できる。

だが、本当に人数が少ないというよりは、マンパワーの減少というのが正確な言い回しのように感じる。

役職に人が集まらない。
集まった役職も適切に運用されない。

こんなところじゃないだろうか。

昨日の日本模擬国連ホームページがハッキングされた事件は、ホームページの管理という最低限の運営が行えているのかどうか非常に不安な点を私たちに示してくれた。

集団として一つの構成要素(日本模擬国連)を成立させるのがよいのかどうかが問われるレベルまで、運営のマンパワーは低下しているように私は感じている。



このマンパワーの減少だが、私は個人の能力が低いから起きた現象とは感じていない。

そうではなくて、個人の能力を阻害する何らかの問題があるから起きた現象だと思っている。

その問題とは、意志決定過程の曖昧さだ。




いったい誰が何を決裁して、何を実行するのか、今の日本模擬国連はよく分かっていないのではないか。

研究会、支部、事務局、日本模擬国連、事業……さまざまな集団があり、その中にさまざまな役職がある。「総会」で決めるのか、「代表者会合」で決めるのか、さまざまな意志決定プロセスの節があるが、それらの役割もよく分からない。

だから、自分がどういう役割も担っていて、何をしなければならず、また何ができるのか、正直いろんな「代表」は分かっていないんじゃないだろうか。


その元凶は何か。


私は、それは「代表」選出の際の甘さの中にあると思っている。



日本の選挙と違って、サークルである私たちは、別に民主主義を採用する必要はない。


たとえば、てきとうに誰か会員1人がリーダーに非民主的方法で選ばれたとする。優れたリーダーがいれば、そのリーダーが指し示す方向に向かっていけばよい、と考えることもできる。
(むろん、暴走には注意したいけど)

けれど、リーダーが暴走する人間だったり、仕事をろくにしないぐーたら人間だったりすると、ついてくる人がいなくなる。サークルなので、ついてこない人は罰せられないから、日本模擬国連は衰退する。

このように非民主的方法は不安定だから、私たちは一応、サークルの代表を民主的に選出しているのだろう。


けれど、民主主義的な選出プロセスは、選出される側にとっては別の大きな心理効果をもたらすと思う。


リーダーが決定されると、そのリーダーは普通は様々な権限を持つことになる。

ところが、現状ではそのリーダーを決める際に、リーダーがどれだけの権限を持っているのか明確に指定されていない。
これでは本当ならば会員は信任することもできないだろう。(後述するように、来年度の運営が人質なので、会員は信任せざるを得ない)

その場でいったんは信任するのだけれども、リーダーの権限に正当性が無いから、
反対論が出てきたときに、リーダーは尻込みすることになる可能性がある。
(尻込みしなくても、そこで突っ走ると暴走になるだろう)

リーダーが「自分は選ばれたのだ」と自覚し、一歩上の立場から団体を俯瞰し、指示を下すことができない。そうなってはいまいか。

もちろん、さまざまな人の意見を聞き、ボトムアップとしてそれらを集約していくことも可能ではある。けれど、現実問題として日本模擬国連全員の意見をまとめあげることなど、できはしないだろう。

反対あれども実行する人間が、必ず必要なのだ。そうしないと、さまざまな役職に就く人間ののマンパワーを引き出す人間がいないし、リーダー自身のマンパワーも低下してしまう。

実行する人を生むには、自覚するためのプロセスが絶対不可欠だ。
今の総会での承認は、そのプロセスになっていない。私はそう思う。




また、リーダーが選挙ではなく承認される、という仕組みになっているのも大問題だ。

ここ数年の事務局長選出プロセスは、関東関西ともに一部の会員の密室で一名の候補が選ばれ、
その候補が総会で承認を受ける、というものになっている。


ところが、これでは「次世代の運営をつぶす」か「信任」するか、の2選択肢しかなく、
来年度の運営を人質にとって承認を迫っているようなものではないか。

これは総会に来る会員にとっても、リーダーにとっても不健全な事態だと考える。

事務局の役職を決める前に、まず事務局に入りたい人は、全員が事務局長候補として立候補してはどうか。
そうすれば、2人以上の選挙によって、事務局でやりたいことも明確に会員に伝わるだろうし、
選挙の結果で実行することも「総会会員の同意」が得られるのだから、リーダーも自信を持って動けるようになるんじゃないだろうか。



今回、選ばれる人間の自覚を生み出すプロセスを重視してここまでブログを書いてみた。

反対あれども実行する、そんな俯瞰的リーダーが生まれることで、さまざまな役職の能力が引き出され、総合的な組織としてのマンパワーが増大すると思っているからだ。

確かに、今は役職不在で来年の道筋が見えにくい困難な状況にある。

だけど、そんな今だからこそ……

新しい役職を安易に人に押し付けるリクルートをやったり、とりあえず誰もやらないなら自分がやります、といった立候補をやったりするのではなく、しっかりとした「選ばれ方」で選出者・代表者としての自覚を生む。

そして、その際に「代表者」とはどんな任務・権限を持つのかをしっかり確認する。

これらを丁寧に行うことが、大事なのではないか。