2012年12月20日木曜日

自助の精神とPPP


このブログに「勉強会の風景(続く)」という記事がある。
全然続いていないじゃないか、と言われそうだけれど、その通りです。すいません。

研究会と模擬国連会議の大会の役割についての一考察を書くつもりだったんです……。


ただ、少し状況が変わりまして。
今日をもって日本模擬国連(JMUN)を離脱して、もぎこっかーを辞めることにしました。

もぎこっかーを辞めてもMUNerは辞めない、なんてわけのわからんこと言ってますが、自分の中で一つの区切りをつけることは間違いないです。

そこで考えました。

研究会と大会の話は、一般peopleになって会議を開いたときに、改めて喋ればいいかな、って。


もぎこっかーを辞めても、2月には会議開くんです。ディレクやるんです。不思議ですよね(笑)
お前それはおかしいやろ、って言われるかもしれませんが、まぁ本人がこう言ってるんでそう言わせてやってください。




で、もぎこっかーを辞める今日に何を書くか。

だいたい決まってました。

「自助の精神とPPP」が今回のタイトルです。


PPPといえば汚染者負担の原則。なんか一部界隈ではPPP="Position and Policy Paper"らしいですけど、ここでは違います。

Practice, Practice, and Practiceです。



とりあえず今日皆さんにお伝えしたいのはこれだけなので、後はこの言葉に意味づけしていくだけになります。




1. ガラパゴス模擬国連



さて、自分が発した言葉の中で、モギコク界隈で最も知られているのは、たぶん

「ガラパゴス模擬国連」

じゃないのかな、って思うんです。

今振り返っても、たぶん自分がモギコクヒストリーに何らかの影響与えたか、って言われたら、
この言葉の精神にのみ自分の意義が認められるんじゃないかな、って思ってます。


この言葉の意味は、「日本の模擬国連、とりわけ日本模擬国連の会議はやたら難しい。
どう難しいって、知ってる人しか楽しめないような構造になっている。
国際的な潮流とも違うし、かといって効率的とはとても思えないような仕組み、慣習ばっかりだ。
まるで鎖国していて、独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の動物みたい」ってことです。


よーするに、今のモギコクは時代遅れって指摘したんです。

ガラパゴスにはガラパゴスなりの魅力があるのかもしれませんけど、私に言わせればWPとかP/I(Point of Information)ってのは絶対悪です。
あんなん制度的に存在不可能ですよ。

今日ここでずっとその話してもいいんですが、今回の本筋はそこじゃありません。


この「ガラパゴス模擬国連」という言葉を発するまでの覚悟。そこに至る経緯。そっちが大事です。




この言葉は、アンチ・ガラパゴス=ウィルスとなる独自プロシージャーを運用しないと、大会で発言してないでしょう。
この言葉は、自分の議題構想を理解して現実の議場に持ち込んだ議長の助けがなかったら、出現していないでしょう。
この言葉は、自分がディレクをやっていないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分をディレクに誘った大会DGがいないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分が海外の模擬国連に出てないと、出現していないでしょう。
……


延々と条件が浮かびます。

これらの条件、少し自惚れますけど、自分の「信念」がなかったら、繋がることがなかったと思います。

海外の模擬国連に出席する機会をたまたま手に入れて、そこで発見した問題意識。
その問題意識を実際に形したのは、自分の信念に他なりません。
たくさんの助けをもらいました。たくさんの力をもらいました。
でも、信念がなかったら、関西大会のディレクあいさつで「ガラパゴス模擬国連」って言葉が生まれることはなかったでしょうね。


こんなことを言うのは、自分のこれまでの経験があるからです。





2. 教訓をくれた「失敗」たち



プロシージャーを変更して、模擬国連の統一プロシージャー作り。
関西圏でシステマティックな学習機会を設けるための、1年間の各会議の工程表作り。


いろいろやりたいことはありました。この2つは、その中でも自分自身で実際にやってみよう、と試みたものです。

両方とも失敗しました。
その理由はいろいろあるんですけど、やっぱり自分でコストを払うことを躊躇したからかな、って思いますね。そこまで言わなくても、コストに対するかなりのリターンを要求していた。

2つとも、企画書を書いて、実際に諮問させるところまではいきました。
ただ、そこで反対されたときに、それでも「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力は無かったんですよね。

振り返れば、この2つ、もし企画段階で賛成されていたとしても、うまくいってなかったんじゃないのかなぁ。


「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力が必要な理由は、結構明白です。



今読んでいるもぎこっかーの人は、運営畑、研究畑、デリ畑のどのカテゴリーに属していますか?

自分は多分研究畑なんです。

で、もぎこくの研究会執行部とか大会運営って、運営畑と研究畑が混ざるじゃないですか。

基本的には研究畑の人がやりたい議題とか、研究畑の人が持っている問題意識を解決する企画が実行されるんですけど、
これ、運営畑の人にどうしてもウケが悪くてね。ウケが悪いって、印象が悪いわけじゃありません。そうじゃなくて、熱を共有することがなかなか難しいってこと。

やっぱ、運営畑の人って研究なんてある意味どうでもいいんですよ。笑

運営の人は、議題の研究とかプロシージャーとかそんなことより、リーダーシップとかフレンドリーシップとか、
もしくは人間関係の発展・維持のほうを重視していると思います。別に非難してるわけじゃないですよ。でも、研究畑の人間とはちょいと思考が違うんじゃないかな。

時たま、研究畑が力を入れたいところ、運営畑からは「どーでもいいじゃん」って思われるところが出てくるんですね。
で、これが結構両者の中で大きな違いになってくる。もしかしたら、互いの人間関係に悪影響を及ぼすかもしれない。

そこで、「俺は何と言われてもやる」って言えますか?

多分、ここでそう言えないんだったら、友情とか場の空気とか、そういうのに飲まれて自分のやりたいことをダイレクトに実現できないんですよね。



運営畑の人も一緒だと思います。

研究畑の人間は、はっきり言って変人が多い。(変人じゃないとやってらんないことが多いからですね)

そういう人を運営に入れていると、場の空気を維持するために、意見を切り捨てることが必要になったり、
もしくは反対論を押し切ってでも企画者のおぜん立てをする必要が出てくる。

ここで、自分のポリシーを貫けるかどうか、が問われてくるでしょうね。

貫けないなら、1年間の運営はなぁなぁで終わり。「頑張ったね」の声はもらえると思います。けど、なんか虚しくないですか。それは。
貫けたなら、少し衝突することはあるかもしれないけれど、何か残るんじゃないですかね。


勿論、柔軟性を失ってはいけません。けれど、研究も運営も、自分の「やりたいこと」「ポリシー」そういうものがあるんだったら、実現まで走りきらなきゃいけません。たぶん、助けは勝手にやってきます。


統一プロシージャーの策定とか、会議の調整(研究調整部門って呼んでました)とかは、ノンストップで走りきれんかったんですね。ここらで諦めざるをえんか、そんな思いがあった。だから反対論が出たときに、自分の意見を押し通せなかったんですね。有体に言えば、失敗(リスク)を恐れて失敗した(やらなかった)。



じゃあ関西大会はどうやったか、ってことなんですけど、これは自分の中では結構うまく覚悟を持てた。途中止まりかけたときはあったんですよ。でも、背中を押してくれる声があって、それで再始動できるくらいには覚悟があったんですね。だから最終的に、かなり思い切った独自プロシージャーを作れたと思っています。野心的な準備期間もできました。宇宙会議で46人って、なかなか考えられないですね。

割と賭けでした。エッセイ式のPosition Paperなんていうのは、下手したら誰もまともに書いてくれないかもしれないわけです。書いてくれなかったら、事前交渉というのは禁止してましたから、当日の議論にしか期待する余地が無くなる。当日の議論なんて、下準備が無ければ薄っぺらいものになるでしょうから、参加者も自分(会議監督)自身もつまんないものになったでしょうね。それが実際は、46人中44人がペーパーを提出した。

こんな賭けができたのは、ひとえに意志があったからです。失敗してたらどうする、って反論はありますよ。まぁその時はその時で、たぶん来年あたりに全日で再チャレンジしてるんでしょうね。それはIfの世界です。






3. 意志を実行するということ



「俺は何と言われてもやる」って言葉のなかで、一番大事な部分は「やる」ことですね。

Practice.

これが意外と難しい。

他人の協力があればそんなに難しくはないんですけど、日本の模擬国連って、そこらへんの共助関係がうまくできてないんですよね。残念ながら。足の引っ張り合いが多い。

先ほど運営畑と研究畑の違いを話しましたが、背景にはそういった事情があります。それから、多くの人が「俺は何と言われてもやる」っていう状態になると、企画に出る参加者の取り合いになりますから、競争原理が働く。日本のもぎこっかーは、この競争を嫌うんですね。和をもって尊しとなす。そんな意識があるのかもしれませんが、とりあえず今ある組織で対応しようとする。共倒れは嫌なんですよ。新しい企画をやるくらいなら、今ある企画をレベルアップさせた方がいい。分からんでもないです。

とりあえず今ある組織で頑張ろうとするので、そうなると運営畑の縦の繋がりが生まれます。前年度やその前の年の同じ役職の人に、意見を聞くでしょう? あれです。縦の繋がりは結構保守的で、当然のことですが、新年度の運営畑は前年度の運営を継承しようとします。そうすると、革新的な意見はなかなか通らんくなる。これはいいことでもあるんですよ。新しいことに挑戦することはやっぱりリスキーですし、失敗すると集団にかかるダメージはでかい。だから、大きな組織になればなるほど、だんだん保守的になるはずです。
でも、何かにチャレンジする個人にとっては障壁ですわな。そういう人は、この障壁をどうするか、が大事です。




① 障壁を飛び越える列車に乗る


これがベストな解ですね。ディレクで実現できそうなことだったら、大会のディレクをやる。(大会という列車に乗る)その上で、少し無茶をやらかす。ある程度大会の方針に従っておいて、譲れない線は妥協しない。少し怒られるかもしれませんけど、人を利用する上手いやり手ですね。



② 障壁を迂回する


①ができないとき、どうするかが大事です。
つまり、「ディレクをやりたい」と言ったときに、君の言ってることは相当に無理があるからやめとけ、って言われたときですね。

これ言われるってことは、企画してるものが相当リスキーなものってことなんで、企画の再精査をやることをおススメしますけど、単純に人間関係で障壁を飛び越える列車に乗る機会を失うこともあるんですよ。そういう人、いますよ。

「俺は何と言われてもやる」ですから、やらなければいけません。男児たるもの、退くわけにはいかんでしょう。(別に老若男女関係ないですけど)

お利口なやり方ではないですけど、こういうときは、組織から離脱する、という方法があります。

自分もやったことあるんです。(現在進行形でもやってます)


研究会の会議って、まぁいろいろ面倒なものでして、「今ある会議」に人を集中させたいがために、なるべく新規の会議を開かせないようにするんですよ。
いろんな名目を使ってね。

実際問題、1ヶ月に1つ以上の会議は参加者にとってかなりの負担ですから、この方針は合ってるといえば合ってる。でも、特例っていろいろあるわけで、そういうところを突けば自分の意思を実現させられるかもしれません。


こういうときに、「日本模擬国連の会議じゃありませーん」って言って、会議をやることがあるんですね。
(というか、私がやってます)

今年は全日本大会と応募期間が被る私的な会議を開いてますし、去年は全日の一週間前に会議をやってます。
当然怒られますし、全日に影響しないように配慮はします。

でも、関西にいたら全日に出ない人は山ほどいるわけで、そういう人で出ないと決めきってる人は何があっても出ないわけです。
その人たちからしたら、全日前後1ヶ月ほどに会議をやれない、っていう縛りは不条理なんですよね。

だから、去年はこの縛りがない状態にするために、少なくとも名目上は「日本模擬国連」の外の会議にしたんです。

今年も何か言われないために外の会議にしています。

企画を妨害する組織の壁を迂回する方法はあるわけで、問題はそれを実行するだけの意思があるかでしょう。






4. まとめ――Practice, Practice, and Practice



さて、正直今日は(も)筆が乱れています。あっちへいったり、こっちへいったり、ですが、ここまでのことを無理やりまとめてみましょう。

まず、自分が「やりたいこと」自分の「ポリシー」を貫くこと、そのための信念が必要ということを言いました。
そして、その信念を「俺は何と言われてもやる」と言って、実際に形にすることが大事と言いました。



要は、「やる」ことが大事。


周りをうまく動かす、とか、他人の助けを巧く借りて、とか。そういった予防線はいけないんですね。
自分が率先してやれるかどうか。企画の生命線はその問いに存在してます。


計画も大事ですよ。
plan-do-check-act cycleっていう、いわゆるPDCAサイクルとかを使って、上手く計画→実行することも時には大事かもしれません。


でも、学生時代っていう時間が有り余っている環境では、成功の是非は単純に"do"と"act"にあると思います。
やるかやらないか。実に単純ですね。

(※ PDCAの批判してるわけじゃありません)


模擬国連でプレゼンテーションを学ぶ機会がありましたが、その時の講師の方が仰ったことには、プレゼンテーションは体得するもので、ひたすら「やる」こと、つまり"Practice, practice, and practice"――とにかくpracticeが大事なんだ。そういうことでした。

精神論に聞こえると思いますが、的を射ていると思っています。


今回のブログ記事では、ちょっと意味は変わってしまうんですけど……このPPPを大事にしたいです。

人を動かしたり、説得したり、そんなことの前にまずpractice。
協力してくれるかどうか、迷う前にまずpractice。
Practice, Practice, and Practice.


Practiceの一歩が踏み出せないなら、きっとその企画は価値が無いか、魅力が無いかのどちらかです。



私じゃなくて、一歩を踏み出せないあなた自身の行動が、そう言ってるんですよ。きっと、ね。



http://12thkmuncdisec.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.htmlで書きましたが、
今の日本模擬国連は異常です。来年の運営代表がまだ未決定ですから。

このような時代では、事務局や代表者といった、上の階層からの「助け」はあまり期待できないんじゃないか、と思いますね。
上の階層の方々、現役を並行されているかもしれませんけれど、やっぱり彼らには彼らなりの優先順位があって、現場でデリデリしながら"Practice"する人たちの優先順位と必ずしも一致するとは思えんのです。

なんかの映画でありませんでしたっけ。事件は会議室で起きてるんじゃない、とか叫ぶやつ。
運営は会議室で起きてて、企画は現場で起きてるんじゃないかな。

そして、残念ながら上の階層には上の階層に山ほど仕事が残っているし、宿題が積み重なっています。いやーな縄張り意識に基づく官僚主義的なところも、どうしても存在すると思います。

だから、これからはどの研究会も個人も「自助」を目指さんといかんのです。自分で"Practice"を完遂する意思をもたないと。
じゃないと、期待してた助けがなくて、思わぬところから崩れていくんじゃないかな。





自助の"Practice"スタイル、私は現在の駒場研究会の「ケンブリッジ国際大会」出場とかに萌芽がみられると思ってます。

期待したい企画です。これからはこんな企画が日本の模擬国連の未来を切り開いていくんじゃないかなぁ。

そういう企画が増えれば、ガラパゴス模擬国連もなんとかなる。そう信じます。













ここまで偉そうなこと書いてきましたが、日本模擬国連にはお世話になりっぱなしで、貢献できたかと言われると怪しいです。
運営畑には散々なこと言ってますけど、彼らなしには自分はいませんし、感謝することでいっぱいです。

不遜な言い回しをしてます。でも、約3年間で学んだことの大事なエキスだと思います。これを書くことで、少しでもJMUNへの貢献になっていれば幸いです。



See you, JMUN.
マヤ歴が終わっても、日本模擬国連は永遠に。


2012. 12.20

2012年12月19日水曜日

BG公開

私のもぎこっかーとしての旅も、ほとんど終盤に差し掛かってきました。


そこで、これまでのもぎこっかーlifeの中でももっとも力を注いだ関西大会のBGを公開しようと思います。


BG(Prevention of an Arms Race in Outer Space) vol.1

BG(Prevention of an Arms Race in Outer Space) vol.2


上のリンクをクリックすると、関西大会のBGを閲覧することが出来ます。


【追記 2013/4/28】
BG vol.2を公開しました。
第11章では、若いながらも頑張って国際関係の概要をまとめました。ぜひご覧ください。



宇宙の軍備規制の政治状況・法規制というのは、なかなか研究資料を集めるのにも困難なことが多く、もし将来模擬国連会員で宇宙の軍事競争についてリサーチしたい、という人が出てきたときに、少しでも参考になれば、と思います。


本BGでは最近のTCBMの動きやSpace Traffic Managementの動きを追えなかったことが心残りでもあります。将来、どのように状況が変動しているか分かりませんが、ぜひとも最新の知見を探求してほしい、とまだ見ぬ将来のディレクターにエールを送りたいと思います^^


閲覧はもちろん、引用も許可します。引用する際は、しっかり引用元を明記してくださいね。
それから、孫引きはダメですよ。基本は原典にあたるのがマナーです。このBGは、原典への道しるべと思ってください。

2012年12月16日日曜日

大事件に思うこと。


自民党圧勝の衆院選模様が伝えられる中、ひっそりと今週末に、模擬国連業界でも次の代表を決める運動が行われていた。



ところが、今年は事件が起きたようだ。

昨年からの改革運動を受け、関東事務局と分離されることが決まった「JMUN Office(仮称?)」。
そして従来の関東事務局の主要役職。


これらのすべての役職が、空席となったと聞く。



これは前代未聞の大事件ではないのか。

日本模擬国連設立から数年しか経っていないけれど、その前団体も含めて、これまでこういったことがあったことはないんじゃないだろうか。

私は関西の人間なので、関東でどのような運営が行われ、どのように引継ぎが行われたのかは詳しくは知らない。

けれども、一会員としてこの事態には非常に強い危機感を覚えているので、筆をとっている次第だ。




おそらく、関東事務局がこれまで日本模擬国連の中枢業務を担ってきた歴史を考えるに、この役職空席の事態が長引けば長引くほど、日本模擬国連にとっては損な状況が続く。

ひとまず「延期」なのか「暫定措置」なのかは分からないが、現運営陣には速やかに何らかの措置を求めたい。


私としては、現運営陣はどうしても就職活動など様々な行事があるため、現運営陣をそのままそっくり事務局として任期を延長する「延期」は適していないと考えている。

そのため、何らかの暫定措置が必要なわけであるが、関東研究会/支部会長のいずれか誰かが事務局長暫定代理を務めたり、関東事務局不在のまま関西事務局がJMUN Officeとして存在したり、いくつかの方策があるのだろうと思っている。

どのような方策が取られるのか、注視したい。





さて、運営側の視点はさておき、このような状況は何故起き、そしてどうすれば解決できるのかを「マンパワー」に着目して、少し考えてみた。




現在の模擬国連は「人間不足」と言われている。
関西総会でも数回にわたり言及されたし、関東のこの現状を見れば、この言い様は理解できる。

だが、本当に人数が少ないというよりは、マンパワーの減少というのが正確な言い回しのように感じる。

役職に人が集まらない。
集まった役職も適切に運用されない。

こんなところじゃないだろうか。

昨日の日本模擬国連ホームページがハッキングされた事件は、ホームページの管理という最低限の運営が行えているのかどうか非常に不安な点を私たちに示してくれた。

集団として一つの構成要素(日本模擬国連)を成立させるのがよいのかどうかが問われるレベルまで、運営のマンパワーは低下しているように私は感じている。



このマンパワーの減少だが、私は個人の能力が低いから起きた現象とは感じていない。

そうではなくて、個人の能力を阻害する何らかの問題があるから起きた現象だと思っている。

その問題とは、意志決定過程の曖昧さだ。




いったい誰が何を決裁して、何を実行するのか、今の日本模擬国連はよく分かっていないのではないか。

研究会、支部、事務局、日本模擬国連、事業……さまざまな集団があり、その中にさまざまな役職がある。「総会」で決めるのか、「代表者会合」で決めるのか、さまざまな意志決定プロセスの節があるが、それらの役割もよく分からない。

だから、自分がどういう役割も担っていて、何をしなければならず、また何ができるのか、正直いろんな「代表」は分かっていないんじゃないだろうか。


その元凶は何か。


私は、それは「代表」選出の際の甘さの中にあると思っている。



日本の選挙と違って、サークルである私たちは、別に民主主義を採用する必要はない。


たとえば、てきとうに誰か会員1人がリーダーに非民主的方法で選ばれたとする。優れたリーダーがいれば、そのリーダーが指し示す方向に向かっていけばよい、と考えることもできる。
(むろん、暴走には注意したいけど)

けれど、リーダーが暴走する人間だったり、仕事をろくにしないぐーたら人間だったりすると、ついてくる人がいなくなる。サークルなので、ついてこない人は罰せられないから、日本模擬国連は衰退する。

このように非民主的方法は不安定だから、私たちは一応、サークルの代表を民主的に選出しているのだろう。


けれど、民主主義的な選出プロセスは、選出される側にとっては別の大きな心理効果をもたらすと思う。


リーダーが決定されると、そのリーダーは普通は様々な権限を持つことになる。

ところが、現状ではそのリーダーを決める際に、リーダーがどれだけの権限を持っているのか明確に指定されていない。
これでは本当ならば会員は信任することもできないだろう。(後述するように、来年度の運営が人質なので、会員は信任せざるを得ない)

その場でいったんは信任するのだけれども、リーダーの権限に正当性が無いから、
反対論が出てきたときに、リーダーは尻込みすることになる可能性がある。
(尻込みしなくても、そこで突っ走ると暴走になるだろう)

リーダーが「自分は選ばれたのだ」と自覚し、一歩上の立場から団体を俯瞰し、指示を下すことができない。そうなってはいまいか。

もちろん、さまざまな人の意見を聞き、ボトムアップとしてそれらを集約していくことも可能ではある。けれど、現実問題として日本模擬国連全員の意見をまとめあげることなど、できはしないだろう。

反対あれども実行する人間が、必ず必要なのだ。そうしないと、さまざまな役職に就く人間ののマンパワーを引き出す人間がいないし、リーダー自身のマンパワーも低下してしまう。

実行する人を生むには、自覚するためのプロセスが絶対不可欠だ。
今の総会での承認は、そのプロセスになっていない。私はそう思う。




また、リーダーが選挙ではなく承認される、という仕組みになっているのも大問題だ。

ここ数年の事務局長選出プロセスは、関東関西ともに一部の会員の密室で一名の候補が選ばれ、
その候補が総会で承認を受ける、というものになっている。


ところが、これでは「次世代の運営をつぶす」か「信任」するか、の2選択肢しかなく、
来年度の運営を人質にとって承認を迫っているようなものではないか。

これは総会に来る会員にとっても、リーダーにとっても不健全な事態だと考える。

事務局の役職を決める前に、まず事務局に入りたい人は、全員が事務局長候補として立候補してはどうか。
そうすれば、2人以上の選挙によって、事務局でやりたいことも明確に会員に伝わるだろうし、
選挙の結果で実行することも「総会会員の同意」が得られるのだから、リーダーも自信を持って動けるようになるんじゃないだろうか。



今回、選ばれる人間の自覚を生み出すプロセスを重視してここまでブログを書いてみた。

反対あれども実行する、そんな俯瞰的リーダーが生まれることで、さまざまな役職の能力が引き出され、総合的な組織としてのマンパワーが増大すると思っているからだ。

確かに、今は役職不在で来年の道筋が見えにくい困難な状況にある。

だけど、そんな今だからこそ……

新しい役職を安易に人に押し付けるリクルートをやったり、とりあえず誰もやらないなら自分がやります、といった立候補をやったりするのではなく、しっかりとした「選ばれ方」で選出者・代表者としての自覚を生む。

そして、その際に「代表者」とはどんな任務・権限を持つのかをしっかり確認する。

これらを丁寧に行うことが、大事なのではないか。

2012年12月9日日曜日

勉強会の風景(続く)


今日は、雪が各地で降り積もったという報道とは裏腹に、模擬国連は勉強会目白押しだったようだ。

私も、自分が個人開催する会議の勉強会を行ってきた。



企画している個人開催会議は、来年度に新しいメンバーを迎えることになる大学1年生に、
不安を取り除くためのスキルアップを提供しようとするものだ。

特に重要視していることは、文言の作成とその削除交渉だ。

最近は、条約交渉型会議や決議がそもそも作成されない会議が増えているが、
私は文言作成とその交渉こそが模擬国連活動の醍醐味だと思っている。

今のメンバーは、新入生大使を迎えるにあたって、文言の作り方を自分なりに習得していてほしい。
そうでないと、会議に自信無さげなまま運営の波にさらわれて、次に会議を楽しむ日が無くなってしまうから。


勉強会では、今期行われた前期会議の決議案をピックアップし、その欠点を浮き彫りにする作業を行った。
主文に対応する前文をチェックするだけで、前文のない主文がたくさんあることを、参加者は知ったようだった。

前文が無い主文――それは、主文の文言がなぜ必要なのか、明らかにされていないことを意味する。
これは決議案の体裁としてはよろしくないだろう。

根拠も必要性も確認されないまま、国家や国際機関へ要求が羅列されていたという事実に、参加者は驚いていた。
私自身も、教材を恣意的に選んでいたとはいえ、前文と主文の未対応の現実には驚愕せざるを得なかった。

例を挙げる。格差問題などを列挙している前文に対して、主文では農業教育の整備を謳っている。
深読みすれば関連性はあるけれども、格差が存在することからどうしたら農業教育が必要になるのか、直接的な言及がない。

これは「風が吹けば桶屋が儲かる」型の文言でしかない。

ところが、半数の主文がこういった桶屋文言だったのだ。


前文と主文の関係を考えたのちに、文言の意味を増幅/減少させる練習も行った。

「コメントによる削除要求」が文言交渉であふれかえり、結果的に文言製作者が妥協せざるを得ない。
そんな現実を打破するために、削除要求を前提としない文言の意味を弱める方法として、
動詞の変化と類義語の多用を紹介した。


最後に、即席の文言交渉(核軍縮交渉)を行い、勉強会は終了したが、
参加者の演習を見ていた私としては、今後の模擬国連を担う新星たちに大いなる期待を抱かせてもらった。

特に、参加者2名が秋から入ってきたメンバーだったが、
そのメンバーに知らない情報を教えつつ、協調して学び合う姿は感銘を受けた。
勉強会を開催した人間として、今日の3時間は誇りに思える時間だった。




だが、今回の勉強会で確認したことをもって、私が持っていた「ある問題意識」はさらに増幅したのである。(続)

2012年12月5日水曜日

春会議とプロシージャーを祭る文


さぁ、過激な文書の始まりだ。過激ゆえに、期間限定公開にしたいなぁ、と思っている。(批判・反論は大歓迎)
祭る文といえば、幸徳秋水の「自由党を祭る文」が有名だ。これだけで、私が何を言いたいか、だいたい分かるだろう。
要するに春会議とプロシージャーが死んでいる、と言いたいのだ。
(ちなみに、関西圏で、だ)


春会議は、私が新メンの頃から違和感を持っていた仕組みで、関西の(次期)旧メンのレベルアップを図るというのが大まかな趣旨なようなのだが、どうも納得いかないことがあった。


1)運営主体

もし次期旧メンのレベルアップが趣旨なのであれば、できればこの運営は(次期)老メンか(次期)神メンが扱うべきであろう。
議題リサーチなどが大変かもしれないが、レベルアップの観点から言えば、以前の議題の焼き増しで対応可能と思われる。
新歓前に、運営とdelegatesの二足わらじを履くべきではない。


2)目的

そして、最も春会議でブレていると3年間感じ続けていることが、企画の目的だ。
次期旧メンのレベルアップと言われているが、その内実が問題なのだ。
一応昨年度の話をしたいが、レベルアップの内実は、2点に集約されていたと感じている。

(A)ファシリテートのレベルアップ
(B)運営のレベルアップ

(A)についてだが、この時期の新執行部は、まず会議が成り立つことを優先させたいようだ。
その事情は分かる。
ただ、問題にしたい点として、「ファシリテートとは何か」という問いがまったく発されていないことだ。
私見によれば、昨今の関西圏模擬国連において、「ファシリテート」=挙手当て、といった認識がなされている。
しかしこれは間違いだろう。
ファシリテートとは、いわば議論の交通整理役だ。中立的立場から、議論の促進を図らなければならない。
その場合、白板のグラフィック=デザインやその他諸々の手段を通して、上手く会議のゴールをデザインすることが必要だろう。

さて、このファシリテーション、次期旧メンに必要な能力なのか、ということが問題になる。
私の答えとして、「あってこしたことはない」と言っておこう。だが、無くてもなんとかなる。
ファシリテーション能力が向上しなかった場合に可能な2つのやり方を提案しよう。

1、グルーピング・リーダーシップで代替する

そもそも全体で統合的な議論をやらない、という方法である。
超曖昧な時間軸だけ設定して、あとはグループの各リーダーシップに任せ、DR/AMへの賛否は最終投票で意思表示させるというものだ。
投票結果が全会一致にはなりそうにないやり方なので、この方式は反対する人が多いだろう。
(最近、コンセンサスありきの会議方式が主流だと思われるので)

2、議長がファシリテーションを行う

会議の議長が次期老メン/神メンであることを鑑みれば、議長がファシリテーションを行うことが最も適当だろう。
そもそも、国家間交渉においてとある国がファシリテーションを行うというのは、極めて難しいことである。
歴史をさかのぼれば、かの有名な鉄血宰相ビスマルクが「忠実な仲介人」を称し、ベルリン会議のファシリテーターを務めたが、
この実績は、ビスマルクが全ての国から誹謗中傷を受けた点から優れていると言える。
皆さんには、今の上の文書がおかしいように見えるだろうか?
私個人としては、矛盾がないと考えている。
当時の勢力均衡的考えや、国際関係論の基本的理解からすれば、会議の促進役が「よかった」と言われることが
国際社会の決定的対立を招くことは、自明ではないだろうか。

実を言えば、最近の模擬国連の「ファシリテーター」は、「よかった」と言われることを目指すきらいがあると思っている。
中立性を守ろうとして。
だがそれは、結局議論を進展させていないか、もしくは国際社会の対立を招く結果をもたらしていることが多いだろう。
さらに、ファシリテーターがどうやって議事進行を自分の国益につなげるか、などといった議論を聞いてびっくりすることがある。
ファシリテーターが自分の利益を追求するようになって、会議が成立するはずがない。
その人はファシリテーションの意味を間違えて認識しているか、「ファシリテーション」しているか、どっちかだろう。

こういった直近の事例を鑑みれば、議長がファシリテーションを行うことが、人材を活かす意味でも、ファシリテーションの本来の意味を取り戻すためにも、有益だろう。(ぶっちゃけるけれど、会議中、議長は暇である)

以上、ファシリテーション能力を春の時点で確立する必要性は無いし、それよりもっと別の要素を高める必要があると思っている。その別の要素とは、例えば文言を書くことだったり、リサーチをどうするかということだったり、様々だ。

新執行部はこの時期、どうしても次の代を担うということで緊張するだろうが、会員の隠れたニーズはファシリテーション能力を高めることではないのでは、と疑問提起しておこう。


さて、(B)に移ろう。運営の話だ。
京都研究会と神戸研究会は、ここ数年人数比が変動しており、直近ではほぼイーブンな形になった。
そうなると、運営の育成の話になるが、執行部のシステムが異なるため、両研究会の運営を同時に育成するのは非常に難しくなっているのではないだろうか。
昨年度は両研究会合同で運営を行ったようだが、運営活動の定位置(BOX)を持たない神戸研究会は、新歓活動をかなり早くから始めるため、運営に人的資源を取られ、大変だったと聞いている。もし運営の育成が必要なのであれば、この点に配慮することが大事であろうと考える。

さらに、運営に力を入れると、やはりdelegates能力の育成という面がおざなりになることも逃せない。運営に傾注すると、当然会議準備が疎かになる。そういった状態で会議をやっても、能力アップにはならないだろうし、むしろ通常会議で執行部メンバーが会議内容に手抜きする悪しき前例を作ることになると考えている。これは逆効果だ。


小括すると、

・春会議に関して、出来る限り早期に、目的を再構築すること
・両研究会の会員の(隠れた)ニーズをくみ取ること
・次期旧メンが会議に全力を出せるような構造にすること

この3点が大事だろうと考える。


関東のことはよく知らないが、確か同時期に老/神が3つほど議題を準備して会議を開いていたかと思う。
関西大会が存在するので同列には扱えないが、一度考えてみるとよいのではないだろうか。



ここまで予想以上に長くなったので、プロシージャーに関しては軽く触れる。

プロシージャーが最近問題だ。何が問題かといえば、合理的じゃなくなりつつある。
主な点を2つ挙げる。

(A)作業文書
(B)Point of Information

この2つは両方とも悪用されすぎている。日本独自で実施しているルールであり、海外の大会や国連のプロシージャーには存在しないから、当然かもしれないが……


(A)についてだが、どうも最近、スピーチの代替として使用されている。これはスピーチの意義を無効化するものだ。
また、作業文書が公式文書と扱われることを利用して、グループの意思を国際社会に表明する、というやり方を取ることがある。
(DRのスポシグが足りないとき、DRの提出をミスしたとき、など)
これは邪道すぎる。「国益達成のため……云々」と言う人がいるが、これはルールとして禁じられるべきだろう。DRの意義を貶めるからだ。
また、作業文書自体の数が増加傾向にあることも指摘したい。読まないぞ、誰も。

(B)のP/Iだが、問題にしたいのは、例のyes/no questionだ。
最近、明らかに誘導尋問な傾向が強い。yesかnoかで答えにくいような質問も多い。
このルールは、そもそもスピーチの内容を補完するために作られたものだと推測でき、その趣旨から最近の実用例は大幅に外れている。
答えるのが外交儀礼だ、といった慣習があるが、それはおかしい。


この2つの解決策は、議長権限を高めることだ。
プロシージャーの趣旨に不適切な作業文書には、フロントがサインしなければよい。
不適切なP/Iも、議長が「その質問は不適切なので回答しなくてよい」と言えばよい。
プロシージャーの改訂も解決策だが、それが実施されるまでの暫定手段は、議長が議会運営の一環として
これらのルール悪用を取り締まることだろう。
OBの方からは、そのような議長のやり方が以前は行われていた、と聞いている。





春会議とプロシージャーの話をここまで行ったが、私の最終結論は、議長の扱いをどうにかしなければならない、ということだ。

議長がただの置物(と言っては失礼だが……)である現状では、「ファシリテーター」なる奇妙奇天烈な存在を是認しなければならないし、その存在が前提となるならば、旧メン内にそのことができる人を作らなければならない、といった奇妙な焦りを生み、結果として模擬国連への魅力を失う人が出てきている(かもしれない)。また、プロシージャーの悪用も防ぐことが出来ない。

議長=ファシリテーターとなれば、少なくとも新歓時期に能力アップを目標とした春会議を開くことは、十二分に可能だと思っている。また、そのほうが模擬国連活動が上手くいくだろうという持論を持っている。





(批評のコメントお待ちしています。)

2012年12月4日火曜日

ディレクの本懐

そろそろ、モギコッカー(※1)としての自分の臨床カルテも終末に近づいてきたように思う。少し皮肉めいた話になるけれど、僕はMUNerとしてはまだまだやれることが沢山残っていると考えるけれど、サークルという形を取るモギコッカーとしての役目は、ほとんど残されていないんだろう。むしろ、他の人の可能性を摘まないように気を付けないといけないと考えている。


さて、そんな中で、自分のモギコクライフを振り返ると、結局のところ、最も自分が好きだったのは、BGの作成なんだろうと思っている。僕の夢の一つが、生涯で本を一冊出す(できればいいものを)ことなので、ある意味それに近いことが好きなことになる、というのは、妥当だろうと思っている。


これまでBGは4度書いた。

1)一昨年年度研究会でのBG(教育の資金調達メカニズムについて)
2)昨年度全日本大会でのBG(同上)
3)本年度関西大会でのBG(宇宙会議について)
4)本年度全日本大会でのBG(政策立案について)

特に全日本大会は、一度も出場していないのに、2度も執筆させて頂く機会をもらい、感謝している。

さて、BG writer≒ディレクとして、自分がディレクとして後代に遺したいものを述べたいと思う。


ディレクがBG執筆を終えて最初に感じることは達成感だけれども、その次の瞬間、何とも言い難い後悔に苛まれることが多いんじゃないかと思う。その後悔というのは、議題や会議について自分が書いてきたことを、もっとうまく書けたんじゃないか、ということだったり、書いたことが事実たらずじゃないか、ということだったり、様々だ。そうなると、できれば自分のBGが引き継がれ、どこかでブラッシュアップされると、ものすごくうれしいということになる。


自分がディレクとして書いたBGの議題は、"Prevention on an Arms Race in Outer Space"だった。この議題について、遺されているBGはほとんど無かった。それでも、自分のBGはモギコッカーの熱のリレーだったと思う。例えば、仙台模擬国連の宇宙の平和利用について討議しているBGは参考になったし、主要参考文献として使用した本は、模擬国連OBの方だった。出来る限り先代の意思をくみ取りつつ、自分の文書として再構築する作業は、なかなかに骨の折れるものだけれど、(引用ばかりだとコピペでしかないから、孫引きにならないよう、文献は遡って調査しなければならない)そこを頑張ることで、新しい生産価値を少しでも作ったつもりだ。

現在、自分のBGの不満な点としては、(体裁の不備などを除けば)少なくとも宇宙政治について統合的な論点を提供できなかったこと、公共財の視点から見た宇宙政治の論を展開できなかったこと、最近のトレンドであるTCBM(透明化・信頼醸成措置)を排除したことなどが挙げられよう。もし今回、宇宙政治についての私のBGが後代に継承されるならば、リサーチの時間が多少は省くことができ、これらの問題点も余った時間で解消してもらえるかもしれない。ささやかだけれど、こういった伝承は嬉しいものだ。ディレクの本懐だろう。

ところが、日本の模擬国連はデータ媒体でBGを継承する術を、(今のところ)持っていない。著作権などいくつかの技術的ハードルがあるそうだが、ディレクとしてはこの事態は好ましくないことではないだろうか。

私の運営した会議は「宇宙」というニッチな分野を扱ったこともあり、同様の会議が近いうちに実施されることはないのかもしれないけれど、例えばCOPや核問題というのは、毎年恒例でどこかで実施されている会議であり、もし各代でのブラッシュアップが行われず、結局HPや文献からのコピペを繰り返しているのならば、労力の無駄な消費になっていると言えるだろう。戦力の逐次的投入とも言える。この状況は好ましくない。


昨今、このような状況を解決すべく、BGデータベースの作成が急がれているそうだ。その出現を待つとともに、それまでの暫定措置として、Dropboxを使用してBGデータを集積することを提案したい。ディレクの本懐は、ディレクの協同作業によってのみ、初めて達成される、集合行為なのだから。



※1 モギコッカーとは、日本の模擬国連会員を指す俗称。

2012年10月13日土曜日

後期会議前に確認したい6つの「努力」



カーターvs. フォード。議論の最高決戦。




 模擬国連界隈の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私の所属する神戸研究会は本日が研究会後期会議の最初の日で、(きっとディレクの思っていたこととは違う)ドラマチックな展開(?)で幕が開きました。私も老メンなのにいろいろ出しゃばって、肩身が狭い思いです。(笑)

 さて、そんな今だからこそ確認したい「模擬国連を楽しむための6つの努力」について、今回はご紹介したいな、と思います。この6つは独断と偏見(笑)ですが、みなさんの参考になれば嬉しいですね♪ 特に新メンの人向けに書いています。

 それでは、6つの努力です。



1 会議で1度は喋ってみよう。


 会議1回1回で、1度は喋るようにしてみましょう。コーカスのグループ内交渉ならばグループで、インフォーマルの全体討議ならプラカードを上げてみる。まぁ発言によって国益が損なわれる、なんてこともあるかもしれませんが、何も喋らないで国益が増進することもないですよ! とにかく喋ってみること、間違ってもよく分かってなくても喋ってみること。これが模擬国連会議を楽しむ最大の秘訣。

2 メモを取ってみよう。


 人の言ったことってなかなか脳裏から消えていきますよね。これ、聞いている人だけに言えることではなくて、喋っている人にも同じことが言えます。だからメモを取っていましょう。「先ほど○○大使はこう仰っていましたが……」「先ほどの□□発言に賛成で、だから★★……」というように、前の誰かの発言につなげて自分のイイタイコトを言ってみると、会議についていけるようになりますよ^^

3 PCを閉じよう。


 PCは害悪です。スピーチの原稿やDRを書きたくなる気持ちは分かりますが、発言者の顔を見てみることのほうが大事です。人間のコミュニケーションって不思議なもので、発言の内容と発言者の態度が違うときがあるんです。(専門用語ではMessageMetamessageの不一致)言葉ではなくて、身振り手振りや顔の表情を掴む方が、その人が何を言いたいのか分かりやすくなる材料になりますよ! だから、顔が下に向いちゃうPCは閉じてみましょう。どうしても必要になれば、開けばいいんです。因みに筆者は3度ほどPC持ち込まずに会議をやり過ごしたことがあります。(故障したPC買い替えられなかっただけですけどネ)

4 文言を書いてみよう。


 自分のイイタイコトを文言にするのって、意外と難しいんです。なぜかって? それは、決議案(成果文書)が全部文字だからです。自分の頭の中にあるイメージを言語化することはなかなか難しく、5W1Hとか、その他の論理メソッドを使って、上手く自分のイイタイコトをダブりなくモレなく書く必要がありますよね。(MECE思考なんて言うのかもしれません)もしかするとそれを英語で……。タフなことではあるけれど、その分自分が作った文言が載った決議が採択されると「ちょー気持ちいい」ですよ!

5 しっかりYesNoかを考えよう。


空気に流されてはいけません。え、投票行動の話かって? いえいえ、それだけじゃあない。モーションの賛否、グループ内意見調整の賛否、なんだってそうです。Yesか、Noか。グレーゾーンはよくない。棄権、って方法もあるけど、あれは思考放棄というよりは限りなく黒に近いグレー。決して棄権に逃げちゃダメ。やるなら堂々と。
YesNoかを決めるときに、分からないことがあると何も決められないよね。だから発言することが大事だし、質問することが大事。

6 (少し上級者向け?)アドリブで1分スピーチをしてみよう。


 慣れてきたら、原稿抜きでスピーチしてみたいです。まずは1分だけでも。
 棒読みのスピーチは誰も聞いてくれない。我が国の総理は棒読みが多い(?)けど、アメリカのオバマ大統領は聴衆に目で訴えかけてる。この差は大きいんじゃないかな。
 そして、アドリブスピーチは自分がいかに物事を適切に説明できないかを浮き彫りにしてくれる。(たまにカリスマはいるけど。)20秒で説明できるかな、って思っていたことが、意外と3分くらいかかったり、伝えたいことが途中で抜け落ちちゃうことがある。そんな時に、自分のコミュニケーションの癖を見つけることが出来るかもしれない。そうしたら、次のスピーチではもっともっとカッコ良く人に「伝える」ことが出来るようになる!





どうでしたか? 周りの「すごいな~」って思っている人は、結構この6つを実践しているんじゃないでしょうか。もし自分がこの6つをなかなか出来ていなかったら、一つずつ、会議に参加する前に「今日はこの目標をクリアするぞ!」って思ってみてはいかがでしょう。会議が終わったころには、きっと新しい模擬国連の世界があなたを待っています。

2012年10月12日金曜日

関西大会('12)レビュー

10日ほどまえ、関西大会参加者にレビューを配信しました。

もしかすると、他の会議参加者にも有用かもしれませんので、残しておきたいと思います。





はじめに


関西大会が終わって、はや2ヶ月が経とうとしています。皆様いかがお過ごしでしょうか。

会議監督は、これまで後援の企業・スポンサーへの会議報告書、来期の運営を行う会議監督への引き継ぎ書と、自分自身の「企画」面に対するレビューを2つ書いてきました。さてその2つを終え、いざ皆さんに私がこの半年余り考えてきたことを伝えようと3つ目のレビューに取り掛かったのですが、非常に長くなりそうなその気配に、書く側も読む側もこれはだるいだろう、と気づきました。そこで、要点を絞り、決議分析・会議所感を述べて、私から皆さんへのレビューにしたいな、と思います。

さて、レビューを始める前にですが、皆さんに一つだけメッセージを発します。この会議は従来日本の模擬国連が行っている学習メソッドとは、大きく異なるコンセプトを持っていました。端的に表せ、と言われるならば、「自学自習」と答えるのが良いかと思います。今回の会議で皆さんが学んだことは、それぞれ各個人によって大きく異なるでしょう。会議監督として○○を学んでほしかった、ということはいくつかありますが、それよりも皆さんがこの会議から何かを見つけてくれた、という事実の方が嬉しいです。この会議から得たものを、実生活でも学問の面でも、そして次の模擬国連会議の場でも、活かしてもらえたなら幸いです。

それでは、実際にレビューに移りましょう!

1.     決議の分析


ここでは、皆さんが提出した決議がどのようなものだったかを振り返ります。皆さんの会議での振る舞いなどはすべて捨象して、国際社会を研究する一学徒として、皆さんの決議がどのようなものであるのか、を明らかにすることを主眼としています。

決議L.1

決議L.1の特徴は、何と言ってもコンセンサス採択であることです。宇宙法の分野では、異論は大いにありますが、インスタント慣習法理論[1]という考え方があります。これは、簡単に言ってしまうと国連総会の決議を法的確信の表明と見做し、これだけで即座に慣習法が成立する、という考えです。この考えに基づくならば、今回の決議に書かれたことは国際社会の慣習法として結晶化された、ということになるでしょう。それだけ宇宙法の分野では全会一致であるかどうか、は重要な違いです。
この決議の内容に関して、いくつか文を見ながら考察します。

あらゆる対衛星破壊実験を未然に防止する事がスペースデブリの増加を阻止することを強調(Emphasizing)また宇宙における軍備拡張競争の誘発を阻止することも強調し(Also Emphasizing)

 第一に注目する部分はこの前文です。大事なのは、「あらゆる」という部分です。英語だったら“any examine that…”なんて感じになるのでしょうか。あらゆる対衛星破壊実験(以後、ASAT実験)と定義するからには、ASAT実験の定義付けが実は必要なわけですが、とにかくASAT実験っぽい実験はすべてスペースデブリの増加の因子になり得ると表明していることになります。これは、ASATと対弾道弾ミサイル(ABM)実験の違いが重要になるASATの定義付けの問題を回避しているようで、今後の論争を引き起こすトリガーになっていると言えるのではないでしょうか。「あらゆる」を付加したことで、提案国に名を連ねるNATOの面々の軍事的国益が高まっているかどうかと問われれば、私は疑問であると言わざるを得ません。

1.                      以下のことを宣言する。(Declares)
A)                    月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約(以下、宇宙条約)の締約国[2]は、自国の行うスペースデブリを発生させる対衛星破壊実験が、同条約第九条の規定に抵触すると信ずる場合はその実験が行われる前に、同条約九条が定める適当な国際的協議を行う必要性があることを強調する。(Emphasizes)
B)                     また、宇宙条約締約国が、他の締約国が行うスペースデブリを発生させる対衛星破壊実験が、宇宙条約第九条の規定に抵触すると信じ、同条約九条が定める適当な事前の国際的協議を行うことを要請する場合には、要請された国は迅速にその協議の開催を行う必要性があることを強調する。(Also Emphasizes)

 次に、主文です。この主文の問題点は、宣言文であるにも関わらず“Emphasizes”に留まっている部分です。おそらく妥協の産物なのでしょうが、第IX条の効力を高める目的がある場合は、States Party(締約国)Calls uponする、といった表現が好ましいと思います。なお、今回日本語を指定したこともあり記述しにくかったと思いますが、英語で表現する際は、States Party needs to …ではなく、States party shallという表現がよいでしょう。これは条約や国連決議でよく使われるやり方なので、助動詞shallを皆さん覚えてください。mustではないのが特徴です。なお、shallほどきつくしたくない、という場合は助動詞mayもしくはmightを使いましょう。mayの場合は、「……してもよい」といったニュアンスになります。
 ではこの表現で決議の有効性がどのように変化したか、ですが、実際の宇宙条約第IX条と比較するとよいかと思います。実際の条文との大きな違いは、「必要性」の有無です。mayからneeds toに変化した、と言い換えることができますが、必要性が存在することは条約からある程度自明だったように思えます。すなわち、法の実効力の意味からすると、この決議の存在から宇宙条約第IX条の実効力が大幅に高まったとは考えにくいと思います。中国が2007年のASAT実験時にこの第IX条を踏み倒したのですが、次回以降も(特に北朝鮮のような国が)踏み倒さない確証がこの決議で得られたとは考えられません。
 条文ごとの分析を行いましたが、最後に全体としての分析を行います。条文の効力は薄いのですが、それでも世界各国がASAT実験に対し危機感を持っていることをコンセンサスで表明できたことに関しては強い意味を持つと考えられます。換言するならば、法的な効力増進はそこまで高まってはいませんが、政治的意味合いとして、宇宙の平和的利用を間接的に促す形になったと言えます。この状況は、対立するNATO・中露双方にとって良いとも言えますし悪いとも言えるでしょう。アメリカにとっては、自らの宇宙軍事開発を阻害しかねない要因を作りましたが、同時にそれはロシアや中国にとっても同じ話です。しかし、宇宙にアクセスを持たない多くの途上国にとってはこの決議がもたらす状況は現状では良いと言えると思われ、ここで実は漁夫の利が生まれたのかな、といった所感です。

決議L.2

 決議L.2の特徴は、何といってもその革新性にあります。若干の学術的批判も加えながら、分析していくことにします。
 まず条文ごとに見ていきます。

宇宙における軍備競争を防止する目的を達成するためにソフトローが有用であることを強調し、(Emphasizing)
1.         加盟国が、国際宇宙行動規範についてEU doc.16560/08(EU code of conduct)をベースにして68会期国際連合総会第一委員会において明文化に向けて議論することを求める。(Calls upon)

 この前文と主文についてです。
 まず、ソフトローとハードローに関して、深夜コーカスでいくつかの議論があった旨を聞いていますので、よく分からないという人は改めて学んでほしいな、と思います。[3]その上でこの前文に批判を加えると、PAROS達成にソフトローが有用である、というのは少し無理がある主張に思えます。というのも、本来ソフトローというのはハードローの欠缺を埋めるものだからです。国連決議でソフトローという単語が用いられることも少ないように思います。(もしかしたら使われたことがないのではないでしょうか)ですので、ここでは例えば「宇宙開発の日々変化する現状に柔軟に対処する必要を考慮し」などとソフトローのメリットが世界に必要なんだ、と前文で示し、その上で主文に移る、といった考えがよいかと思います。
 次いで主文なのですが、多くのEU加盟国はEU行動規範を軍縮会議や国連で討議する必要を感じていないはずです。また、行動規範はかなり多義的な領域を含むため、UN-COPUOSの法小委員会で討議されるのが妥当ではないかと思われます。(実際、法小委は議論を行ったことがあります)このあたりは、BG以上のリサーチが不足していたかな、と会議監督として感じました。

2.         軍縮会議に対して、2013年会期終了までに、作業計画に関する未解決の相違点を克服するとともに、作業計画を採択、履行し、諸交渉の即時開始を可能にするよう招請する。(Invites)
3.         2節に規定されたように作業計画の決定がなされないか、もしくは当該作業計画が履行されない場合には、宇宙空間における軍備競争の防止に関する総会の役割を検討することを含め、多国間軍縮交渉を前進させるための代替策を第68会期総会において審議することを決議する。(Resolves)

さて、この2つの主文は今会議で最も大きなインパクトのあるものかもしれません。66会期決議案「A/C.1/66/L.21[4]PAROSに限って焼き直した形になりますが、重要な点は、PAROSと他の軍縮会議における議題のリンケージを解き放ったことです。
リンケージに対する皆さんの態度に関しては、会議所感のところで改めて述べたいと思います。
この条文は2つの意味で重要です。1つ目は、軍縮会議についてついに国連総会がしびれをきらし、実際に国連がイニシアチブを取って軍縮問題(PAROS)に関わろうとする姿勢を見せたこと、2つ目は、その姿勢がPAROSに限る、ということです。1つ目に関しては、軍縮史上大変大きな事件で、国連総会第一委員会の地位、ひいてはG77の力が相対的に向上することになると思います。2つ目は、PAROS以外の議論を認めないアウトオブアジェンダのためだろうと考えますが、議論に留めて決議には残さない、という選択肢もあったのではないでしょうか。今会議でCDの再活性化の話を行うのは十分妥当であろうと考えますが、決議まで出すということのインパクトはかなり大きいです。このあたりを考慮していたかどうかが、問われるポイントだと思います。
さて、このような決議L.2ですが、投票行動としては棄権が気になります。反対したのはパキスタン1ヶ国に限るのですが、軍縮会議での議論が重要なのだ、と考える国は棄権ではなく反対票を挙げるべきだったと考えます。それくらい、この決議の持つ意味合いは大きいです。また、賛成国の中にもその意味合いを考察できていなかった人は多いのではないでしょうか。
総じて、この決議に関して述べるならば、提案側も提案を受けて投票する側も、決議の重要性を高く認識していなかったように思われます。BGで改革路線を書いたのは事実ですが、その記述を批判的に分析し、国益に適うかどうかの考察をもう少し行っていただけたなら、というのが会議監督の思いです。

決議L.3

 決議L.3は、PPWTの部分に、分割投票によって従来と変わらない文言になっているので、ここで大きく言及はしません。

2.                      対弾道ミサイルシステム又は、その構成部分を展開しないことについて議論することをすべての加盟国に推奨する。(Recommends)
3.                      対弾道ミサイルシステム及びその構成部分に関する制限の有効性の確保を増進するために議論をすることを加盟国に推奨する。(Recommends)

 この2つの主文は、ABMに関して何らかの議論を行え、というものです。従って、アメリカの同盟国(核の傘の下で守られている国々)はこの決議に関しては慎重な姿勢を取るべきでした。なお、この議論は「加盟国に推奨」という形を取っているので、二国間でも多国間でも構わない、といった表現でしょう。今回の場合、米ロで協議を行え、という意思をロシア側が提示しているものと読み取れますが、アメリカが応じるかはかなり疑問で、この文を挿入したメリットはあまり大きくないと考えます。なお、推奨という言葉は弱いものなので、これがどれほどの影響力を持つかは疑問です。

これまでの諸宇宙法において確認されてきた月などの諸天体が人類の共同財産(Common Heritage of Mankind)であるという精神を確認し、(Affirming)

 むしろ、前文のこちらのほうがL.3における重要性は大きいです。諸宇宙法で「人類の共同遺産」精神が確認されているということですが、これは月協定の解釈をその他4宇宙条約に拡張するというものです。
 人類の共同遺産に関しては、BGUPDATA版で解説していますが、南北問題に関して大きな意味合いを持つ概念です。月協定の締約国が少ない理由の一つにこの概念の存在があるので、投票する際に気を付けなければいけない点でした。月協定締約国でないにも関わらず賛成した国の方は、条約の締約有無に関してリサーチできていたかどうかを振り返るいい機会だと思うので、もしできていなかった場合は、今後の模擬国連活動で活かしてほしいと思います。

決議L.4

 決議L.4はかなり単純な構造なのですが、実は大きな意味合いを持ちます。

宇宙の利用方法が多様化する中で、宇宙条約で適応されない範囲が拡大したことを憂慮し、(Regretting)

1.             以下のような宇宙における軍備競争の防止について第68会期総会で協議を行うことを決定する。(Decides)

宇宙空間に適用できる既存の法的レジームがそれ自体としては宇宙の軍備競争の防止を保証しないこと、またその効力を高める必要があり、そのうえで宇宙条約の規制の強化に関する議論を行う。

 宇宙条約がPAROSを達成するに十分でない、ということを的確に述べた決議条文になっています。そのため、既存の条約で宇宙の軍備競争に対処可能であると考える国は、この決議に反対しなければなりません。
 この決議で面白い点は、何といっても投票行動です。会議監督として、パターン化できない投票行動が存在するとは思っていませんでした。この決議に対して棄権/反対する国の特徴をまとめることが出来ないのです。これはなかなか面白い事態です。交渉過程を知らないので何とも言えないのですが、投票をした皆さんは、この決議案に本当に自分の投票行動でよかったのかどうか、再考してみる価値があると思います。 

決議L.5

L.566会期のコピーで、特段議論されたように感じられないので割愛します。


2.      会議の所感


ここからは、会議監督が3日間の会議を終え、感じたことを皆さんに伝えようと思います。

議題について

 この議題に関しては、特にGovernance Issuesが皆さんを悩ませたかもしれません。しかし、米ロといった宇宙の主要アクター以外の国々を担当した方は、このGovernance Issuesこそが今回の肝だったので、しっかり振り返っていただきたい部分です。
 Governance Issuesは、実は核問題を言い換えた論点だと言うことができます。なぜかと言うと、ここでのリンケージの問題がカット・オフ条約の締結などに直結するからです。BGの第4章でジュネーブ軍縮会議について解説しましたが、ここ十数年の核の(特にNATO加盟国の)最大の関心事はカット・オフ条約です。前述の66会期決議案L.21に関しても、カット・オフ条約の交渉開始を謳う決議案とのバッティングによって撤回された、という経緯があるので、この点を理解していたかどうかで会議での姿勢が大きく異なったように思います。

国割について

 皆さんを悩ませたのは、国割かもしれません。特に、アフリカ・南アメリカなどの国々を担当した方には、少々申し訳なかったかもしれないのですが、途上国がこのような議題、すなわち米ロの対立が主軸な問題に対してどう政策立案するか、を問うにはよい材料だと考えていました。海外の模擬国連では、得てして自分の国がどう関わっているか分からない議題も多く議論されます。
 さて、今回の議題に限って言えば、これらの国々にはBG第一章でヒントを与えたつもりでした。すなわち、国連総会は非同盟諸国が数の力を利用して軍縮を東西両陣営に迫っていた場所である、とです。ところが今回は、アメリカ・中露の対立軸に飲まれ、実際にNAMとして活動していたのはL.4の決議作成している国々のみだった、という感じに見受けられました。BGで非同盟諸国の方々に情報を提供してなさすぎたのかもしれませんが、もう少し政策立案があってもよかったのではないかな、と思います。

交渉の様子について

皆さんの交渉の様子は、フロント側から見ていてとても好意的に映りました。まず、ほぼすべての会議参加者が交渉に意欲的に参加していたことです。主体的か、と問われると疑問の残る部分もありましたが、模擬国連初経験もしくは新メンの皆さんが最後の一瞬まで頑張っていたことは記述したいと思います。次に、これは大会のレビューでも伝えましたが、交渉する際の態度が非常に紳士/淑女的であったことです。しっかりprivatepublicが使い分けられ、程よい緊張状態だったと思います。最後に、コーカスの際の皆さんの動きについて言及したいと思います。議論が白熱したときに、一旦他の大使と間を空けて休憩したり、外に出て他の大使と会話したりする姿が見受けられました。これは、実際の交渉現場においても非常に役立つと言われているものです。(『ハーバード流交渉術』などを読んでみてください)交渉に関して、なかなか皆さん巧かったと思います。
逆に問題に映った場所はどこか、ということになりますが、一つ目に正直すぎるかな、ということを挙げます。もう少し狡賢くなってもよいのかな、ということです。いくつか特殊なプロシージャーを用意しましたが、上手く活用できていなかったように思います。特にModerated Caucusに関してはもう少し利用してもよかったのではないかと思います。
二つ目に、議論についての問題を挙げます。今会議を通じて、全体を通しての議論はありませんでした。これ自体は問題ないのですが、問題は皆さんの議論の中にディスコミュニケーションがあったことです。これに関しては、次の節でまとめて説明します。

議論・論理について

 論理について真面目に学んだことのある人は少ないようです。私も論理学を学んではいませんが、ディベートなどで触りだけやったことがあるので、それを念頭に皆さんに伝えたいことがあります。
 議論をする際に、「ほぼ必ず」論理のずれが生じます。この論理のずれは様々なずれ方がありますが、処理方法によって最終的に行き着く解が変わったり、戦略的に操作されたりするので、議論の仕組みを学ぶことは交渉において非常に重要です。
 今回のBGで最も気を配った点は、vol.1 p.73の図です。この図は、出来る限りBGの解説を論理のレベル別に分けています。問題認識から始まり、既存の提案、そして最終的に目指す処理方法、という形で上から下まで並んでいます。このような論点の指示は、おそらく皆さんが経験した模擬国連会議で初めてだろうと思います。何故このような配置にしたのか、というと、たいていの模擬国連会議の論点設定が論理構造に失敗していて、それがゆえに議論のための議論が長期化する傾向にあるからです。論点1と論点2が存在するときに、論点1が解決しなければ論点2の議論が行えない、というような設定を往々にしてよく見ますが、そのようなときは論点を並列的に眺めてはいけません。きっちりと構造立てて、これが解決して初めて次の論点に行けるんだ、と相手に説得できるくらいにまで理解しておきたいものです。
 さて、実際の会議の話に戻しましょう。今回の会議では、ほとんどの参加者の皆さんが既存の枠組みを基に議論をしていました。その中で、論点B群に指定した「どのような」形態で「どの」場所で規制を行うのか、に関して効果的な議論ができていなかったように思います。原因は、論点A群に指定した問題意識の共有が皆さんの中でなされなかったことだと考えます。abcが原因だから、deという対策を打つ――このような流れを皆さんが意識できていたかどうかと言われると疑問です。これはリサーチ・Position Paper執筆段階にも言えることかもしれません。自分の国の政策立案をそのままコピー・模倣するのではなく、「何故」といった原因を探り、どのような対策が望まれるのかを問い直すことは、実はとても大切なことなのかもしれません。
今回の会議では全体で議論する機会がありませんでしたが、議場全体で議論を行う際は間違いなく論理のディスコミュニケーションが生まれます。このときに、軌道修正を行ったり、そこまで至らなくてもディスコミュニケーション自体に気づいたりしないと、ただ時間を浪費することになってしまいます。模擬国連だけでなくあらゆる議論の場で考えられることだろうと思います。この会議に参加したことをきっかけに、改めて論理の大切さを意識してもらえれば幸いです。



3.      最後に

 この夏皆さんに関西大会で出逢えたことは、私の大学生活の中でも一、二を争う大事なことだったのでしょう。正直なことを言えば、国割表を見たときに知った名前がほとんどなく、そのあといろいろと悩みました。様々な大会の国割を見てみてください。たいていの場合、参加者とフロントは何かしらの大会関係以前に構築された人間関係があるように思います。今回の会議は、私にとって、会議監督として初めて見る人との中でどのように企画を成立させるかという、かなりの難問を突き付けられていたように思います。今回の企画の根幹部分の多くを、国割を見てから1ヶ月の時期で決断したことが、その難問ぶりを物語っているように思います。企画側の努力や裏方の事務局の努力によって、今回の企画の基礎は出来上がりました。これに皆さんの参加にあたっての頑張りが加わり、初めてこの企画が成功したのでしょう。会議監督としてこれほどの満足に浸ることができたのは、ひとえに皆さんのおかげです。ありがとう。
ただ、会議中に皆さんと交流することがあまりできなくて、この会議に大使として参加できていないことが悔しくもあります。たまに関東や京都に訪問するので、その際は是非飲みにでも誘ってください!
もしもまた会う日が来れば、次は良き友として、何かを語り合うことができると信じています^^
 最後に、前年度のレセプション時に議長を快諾し、様々な場面で助けていただき、当日には日本語の議長進行で会議監督の想定以上のコンセプトに沿った仕事を行っていただいた議長に、様々なアイデアを互いに生み出しあい、当日には持ち前のパワーと明るさで議場を盛り上げてくれた秘書官に、2年半、模擬国連の後輩として面倒を見ていただき、最後にはプレスを快諾して頂いたプレスに、私のフロントに謝辞を述べ、レビューを終えたいと思います。

20129




[1] BG Vol.2 p.54などを参考にしてください。
[2] 「締約国」とは、条約(効力を生じているかいないかを問わない。)に拘束されることに同意した国をいう。(条約法条約第2f項)
[3] BG vol.1 p.65に記載
[4] BG vol.1 p.52