2013年7月9日火曜日

JUEMUNに参加して

JUEMUNという英語会議が関西にはあります。

http://juemun.weebly.com/

とても素敵な英語会議です。

模擬国連の研究会側にとっては、この会議紹介をされるのは困るのかもしれません。まずは活動に来てもらいたい、その気持ちは強く分かります。
けれども、英語で議論できるというこのチャンスを研究会に潰してほしくありません。
そんなつまらない組織的な理由で、英語を話せるもぎこっかーの未来をつぶしてほしくありません。

そこで、Facebookのノートにも書きましたが、とりあえずJUEMUNの感想を書いてみました。読んでみてもらえると嬉しいです。




昨年まで私は3年間、日本模擬国連(JMUN)という組織に所属していた。私は多少、模擬国連活動に飽きはじめていた。

Actually, I had belonged to the Kobe branch under the Japanese inter-collage organization: JMUN 3 years and I withdrew from JMUN. Through 3 year, gradually I got tired MUN activity because I was “Senpai” so I have to keep in mind supporting newcomers. It means that I cannot pretend to ambasoddor. And in JMUN activity, more and more having effort, called “Mogi-kiti” which is an offensive and insulting term.



2年前、初めてJapan English Model United Nations 2013に参加したときは、かなりのフラストレーションがあったことを覚えている。MDGsの2025年までへの自動延長を先進国のドイツが主張し、それは途上国にとってどれだけ残酷なことなのか、と当時レソト大使だった私は拙い英語を使いながら声を荒げてなんとか訴えたが、それによって自分が攻撃的な人間と思われているようで不快だった。また、プロシージャーや世界観がこれまで私が参加してきた模擬国連とは大きく異なっていた。日本模擬国連とJUEMUNの間には、大きな溝があると感じていた。

I remember that I had very big frustration in JUEMUN 2011. One delegate insists that we should reset MDGs deadline 2015 to 2025 automatically because of financial crisis. I as the delegates representing Lesotho, which country is developing, manage to appeal that deadline extension without review is so cruelty that we should not make such idea. And the rule of procedure is not the same as what we use, so I raised placard and called “Point” to Chairs. I felt other participants think of me as “bad attacking man” so I was displeasure.
In Conclusion, I defined that there are big trench between JUEMUN and JMUN in 2012.



この2つの理由から、今回JUEMUNに参加する際に、なかなかモチベーションが上がらなかった。とある活動のリクルートも受け、リサーチもままらなかった。そう、参加するまでは、告白すると僕は今年のJUEMUNをキャンセルしたがっていた。自分が参加してよいものなのか、という疑問もあった。

Getting tired to MUN, and feeling big trench, this two reason do not make me motivated. Unfortunately, I cannot research to this event because I was recruited by some MUN activity. Yes, before I join to JUEMUN, I wanted to cancel JUEMUN 2013. And I had the question: Should I join to JUEMUN? In JUEMUN 2011, perhaps I make event chaos. I’m afraid that I give frustration to JUEMUN again.



ところが、今年の閉会式で私が言った言葉は、“I experienced more 17 MUN activities, but JUEMUN in this year is the MOST MOST MOST wonderful conference.”だった。

But in closing ceremony, behalf of Osaka University, I commented: “I experienced more 17 MUN activities, but JUEMUN in this year is the MOST MOST MOST wonderful conference.”



その理由は3つある。まず、参加者の国籍が多様だったこと。それから、参加者の英語のSpeakingにインスパイアされたこと、最後に、「伝える」ことと「伝えられる」ことの楽しみがあったことだ。それぞれ順に説明したい。

The reason why I said so: First, nationalities of participants are diverse. Second, I was inspired by speaking English skill of participants. Final one is that I could find the enjoyment of “telling something from my heart” and “to be told something from his/her heart.”



参加者の国籍が多様なことは、国際会議に近いことを日本国内で行えるという素晴らしい企画だったと思う。それも廉価な値段で! 模擬国連は本来様々な国籍の人との多文化理解を促進するための学習ツールだったはずだ。そのことを思い出させてくれた。

Nationalities of participants are diverse――It means that we Japanese can experience quesi-international conference with very cheap fee. How nice this event was! This event reminds me that Model UN is one tool to study multicultural international society, which means we have to recognize many nationalities each other.



次に、参加者の英語にInspireされたこと。少しは聞き取れるようになっていたので、他の参加者の英語の素晴らしさに気づくことが出来た。特に帰国子女や留学生の英語は、的確に相手の意見を分析して、反論を組み立てていたけれども、3センテンスで反論を組み立てられていたのが興味深かった。私はまだ、I disagree with you because…と1センテンスでしか反論できない。いつか彼らのように喋られるようになりたいと思った。

Other participants inspire me by speaking English. In this year, my listening skill is higher than two years ago, so I could catch the nice counterargument. Especially in foreign students, they use 3 sentences to counter-argue. First sentence is response. for example, “I see what you mean”. Next, they point out the difference between them. Finally, they counter-argue. I still manage to say one sentence, for example: “I have slightly different view to you because……” I want to catch up their logical English speaking skill.



最後に、「伝えること」の喜びを得たことを、実際のストーリーで紹介したい。

Finally, I introduced that I found the happiness to “tell my heart to anyone who's from overseas” with story of JUEMUN.


実は今回の会議では、私の提案した文言は主権に対して挑戦的なラディカルな発案で、私の提案した主文は、他国によって通知されないままアメンド案を「より外交的表現に変えた」として出されてしまった。
どうやらDR製作グループと調整済みだったようだが、外交的表現はすなわち骨抜きを意味するので、アメンド案をUnfriendly Amendmentにした。しかし、外交的表現と言われればアンフレが通る確率はとても高いように思われた。
そこで、DRを作っていたグループとアンフレを提出した国に、アンフレで混乱させた旨を謝罪しにいったのだけれども、(これは日本人の悪い癖か)彼らはあまり根に持っていないようだった。そしてカメルーンとネパールに至っては、「君の言うことも理解できる」と同意してくれた。「君の発案が無ければ、僕はこんなアイデアは思いつかなかった」と述べてくれたカメルーンの言葉は私を大いに元気づけてくれた。
さらに、圧倒的多数のyesとabstainの前でも、カメルーンとネパールはアンフレ案に反対票を投じてくれた。僕はこのことに強く感動した。どうしても英語の壁というものがあって、なかなか自分のことが理解されていない、と思っていたから。それから、JMUN式の考え方を持っている私は、彼らにとって理解不能な日本人だと思えそうだと感じていたから。その二つを乗り越えて、自分の想いが誰かに伝わったことを実感したのは、とても嬉しいことだった。

Actually, in this MUN, my proposal was very radical related to violation of sovereignty rights, so operative clause which is proposed by me is amended by other country without announcement. I managed to decline amendment proposal. amendment changed to "Unfriendly amendment". When before the voting action starts, I went to Cameroon/Nepal delegates and said: "I'm sorry to decline amendment" because they are the member of sponsor of DR. But Cameroon and Nepal cheer up me by saying: "I understand your proposal somehow". It surprised me and I was cheered up.
Unfriendly amendment is introduced to the floor by saying, "This amendment has 'more diplomatic words'" so my declining shocks to floor.(I guess) In voting, about 50 delegates said "yes" and about 30 delegates said "abstain". But 6 delegates, including Cameroon and Nepal (and Haiti, Costa Rica)raise their placard to show their answer is "against" for Unfriendly amendment.
I was moved. Because of my poor English, I feel there are big wall in-front of me. But, even if it is 6 people, I could to tell my intention somehow. Yes, I knew: I can tell my heart to anyone who's from overseas.



もちろん悔しさも残る。けれども、悔しさが残ったことこそが、僕にとってこの会議がMost Most Most Wonderfulな理由なんだ。

Of course I felt mortification. But it is the main reason I said: “JUEMUN this year is the MOST MOST MOST wonderful conference”.


もう退屈だなどとは言わない。今、僕は新しい模擬国連に触れたような気分なんだ。
I never say again: MUN is boring. Now, I feel like touching new Model United Nation!



願わくば、もっと多くの日本の模擬国連の人たちに、英語会議のフィールドに挑戦してほしい。そこにはきっと新しい発見が待っているから。

2013年2月5日火曜日

この春に読みたい国際政治書


今回は、主に新メン・旧メンの――関東では新たに旧メン、老メンとなった――人々を対象にしてブログを書こうと思う。テーマは「この春に読みたい国際政治書」だ。

1年または2年模擬国連をやった皆さんは、このサークルの議論がいわゆる国際政治と切って切り離せない関係にあることを目の当たりにしたことだと思う。きっと、皆さんは模擬国連のジャーゴンをそろそろ知識として吸収している頃だろう。ジャーゴンというのは、職業言語や専門用語と訳される単語だけれども、模擬国連でいえば、たとえば「アール・ツー・ピー」とか「ヒューマン・セキュリティ」といったものだ。アール・ツー・ピーはアルファベットで表記するなら、R2Pで、これはResponsibility to Protect(保護する責任)の略称を指している。to2と略すのはいかにもジャーゴンっぽいきらいがあるけれど、とにかくモギコッカーは事あるごとにR2PR2Pと叫ぶ。もう一つのヒューマン・セキュリティは、人間の安全保障と邦訳される。もし内容を知らなかったとしても、皆さんはこの2つのうちどちらか片方は耳にしたことがあるのではないだろうか。

こういった模擬国連のジャーゴンは、あまりに量産化されすぎて陳腐になったために、学問的な検討もなく様々な模擬国連の会議の議論や決議案に刷り込まれている。さらに悪いことに、これらのジャーゴンがあまりに蔓延ったがために、模擬国連の場において、これらの概念が再検討されずに世界の普遍的命題のように扱われたり、西洋の第三世界に対する政治的レトリックとしてのみ扱われたりしているきらいがあるように思われる。これはいささか問題があるのではないだろうか。「模擬国連を通して世界を相対的に見る」という、よくある決まり文句に従えば、私たちが行っていることは、自分の色眼鏡を使って「模擬国連を通して世界を」見ているだけであって、決して相対的な視点にたっているわけではない。しかも、その色眼鏡を形成しているのは、深い洞察に根付いた学問的色彩ではなく、日々流れてくる玉石混合のジャーナリスティックな喧噪であろう。

よく分からない、ちょっとカッコいいジャーゴン。それから、Wikipediaで調べればたくさん出てくる、真偽もつかない無数の「国家像」。これらに基づいて、最近の模擬国連の場においては、相手を論駁して「論理的正しさ」を追い求めているように感じるけれども、専門的に理解されていない専門用語とジャーナリズムが作る世界の虚像を用いて世界観を論理的に構築したとして、残るのはいったいどのようなユートピアであろうか。帝国主義的、原理主義的、そういった我々が否定するイデオロギーよりも醜悪な、インテリゲンツィアになれない私たちの夢物語が残っているのではないだろうか。それは砂上の楼閣であって、積み上げたところで歴史の一風ですぐに崩れ去ってしまうものだ。


そのような無益な、もしかすると有害かもしれない試みを防ぐために、私たちは専門知識を単語だけではなく、その文脈も含めて理解する必要性に迫られる。そのときに私たちは、先輩や同期の言葉に含まれる、引用されたジャーゴンを吸収しようという誘惑に負けてはならないだろう。専門知識はあくまで自分の知として吸収しなければ、自らの血に変わることはない。


こうして、私たちが国際政治を国際政治学もしくは国際関係論、そして国際法やそれに準ずる経済学の知識――knowhowではなく教養――が必要とされることが示された。ジャーゴンをジャーゴン足らしめるには、それを使用するものの専門性の裏打ちが必要となるだろうし、玉石混交の情報の中から何かを掬い取るのは、やはり私たち自身の能力にかかっているとしか言えない。この能力を鍛えるには、読書が最長に見えて最短のルートであることは、おそらくよく知られていることだろう。なので、春休みに読む本として、次世代のモギコッカーに次の本をおススメしたいと思う。



J.Mayallが著し、慶應大学の田所昌幸先生が訳された、『世界政治』という本だ。私自身、読書家ではないため、皆さんにあれこれをおススメできる立場ではないのだけれども、この本は読めば読むほど味の出る「スルメ」な古典なので、皆さんの需要に応えることができると思う。Mayallはこの本で、国際政治において冷戦後に変わったことではなく、変わらなかったことについて淡々と論じてくれる。本のテーマは、「主権、民主主義、介入」であって、それぞれが密接に相互に絡み合っている論題なのだけれども、Mayallの素晴らしい叙述は、読者を混乱の淵におとしいれない。国際政治の多くの知識を必要とするけれども、この際読みながら勉強するのが一番いい。Mayallは、こちらが間違った知識に逃げなければ、体系だった一つの国際システムを僕らに見せてくれていると思う。田所先生の訳がまた秀逸で、これが翻訳書だろうか、と何度も思わされる。難解な国際社会を紐解く本書を、案外スラスラ読みこなせるのは、訳者の素晴らしい含蓄があってのことだろう。心から敬意を表したい。

というわけで、長くなったかもしれないけれども、ここで「この春に読みたい国際政治書」の紹介を終えたい。どちらかというと、何故読まなきゃいけないのか、という方向にブログの趣旨が流れてしまったけれども、この本を敬愛している私の心が皆さんに伝わっていれば幸いだ。Mayallの本の一節を借りて、今回の執筆を締めくくろう。



この書物で提起した第三の命題は、やや思い切った推論である。それは、政治的レトリックや進歩主義的な願望と、現実の動きや利益の世界が乖離してしまい、その結果世界政治で危険な断絶が生じているのではないかということである。わたしは、このギャップが一種の「仮想的リベラリズム」によって隠蔽されているのではないかと示唆した。これは伝統的な世界政治、というよりはむしろ政治一般における偽善――それはいつも悪徳が美徳に払う敬意のようなものだが――の範囲を超えるもので、伝統的に必要とされてきた権力と責任の結び付きを危うくするにいたっている。一九九〇年代前半の国連安全保障理事会が、人道的大破局を終わらせようという意向を繰り返し示したが、それに必要な資源を提供したり、人道問題のもとにある危機を解決する真の政治的意志を示したりすることはなかったということは、よく知られている実例の一つにすぎない。――ジェームズ・メイヨール著/田所昌幸訳『世界政治――進歩と限界』p.3”

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%94%BF%E6%B2%BB%E2%80%95%E9%80%B2%E6%AD%A9%E3%81%A8%E9%99%90%E7%95%8C-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4326351454

2013年1月29日火曜日

「聞く」力とコミュニケーション




 本日、とある国際法の先生の研究室を訪ねました。来年度に宇宙法にゼミで少し触れるかも、とのことだったので、宇宙政治に興味のある私としてはいてもたってもいられなくなったわけです。その先生は、今年度英語ゼミも担当されておりまして、私は持病から欠席数が多く、非常に申し訳なかったのですが、堂々と国際法とは何か、とか、宇宙法の話も絡めたキャリアデザインについて、約2時間も話して頂けました。(こういうところ、察して要点をまとめて質問し、帰られない私はダメな学生なのですが)


 その結果、法学とキャリアについて少し再考することができました。元来、私は法学(=法解釈学)が食わず嫌いなところがありまして、法律を学ぶなんぞ「上から」の押し付けルールを受容するだけの権力の化け物になるだけだ、と考えていたんですね。法律とはリヴァイアサンのようなもので、リヴァイアサンを抑止するための正義を社会科学者は構築すべきなのだ、というのが信条でした。(しかし、社会的決定理論は絶対的民主主義など存在しないことを明らかに僕に示してくれました)今日の自分の中でのコペルニクス的転回は、利潤最大化を目指す各個人をセーブするアドバイザーとしての法律学徒の在り方でした。裁判での勝ち負けによる、捻じ曲げられた正義(正義は見方による?)の決着に着目するよりも、むしろ行為が起こるまさにその瞬間の人間の判断そのものに、リーガルマインドをいかに与えるか、という法学の役割に気づかされたのです。結果ではなく過程にこそ法律的視点は必要なのかもしれません。そう考えると、答え(答案)の結果にリーガルマインドを求めることの空虚さや、結果に至るまでの過程の大事さが身に染みます。


 とりあえず、「法学」についての話はここまでにします。


 この教授は、指導する立場にない(私はこの先生の授業は1コマしかとったことがありません。学士と教授に指導関係があるのかどうかは分かりません。今回はオフィスアワーとして利用したわけではありません)にも関わらず、親身に私のキャリアデザインを考えてくださいました。その中で、自分の専門分野の“私の”キャリアデザインの中での位置づけを一緒に考えてくださいました。


 見渡してみると中々このようなことができる方に巡り合ったことはありません。まず、第一に親身になって一緒に話を聞いていただけるだけの「聞く」力を持った方がそれほどいません。次に、自分の専門分野が相手の立場に置いてどのような位置に存するのかを理解できる人がそれほどいません。最後に、専門分野と実社会の結びつきを考慮に入れている方がそれほどいません。この三条件を満たす人に巡り合うことは、なかなか難しいのではないでしょうか。


 模擬国連で自分がアドバイスを求められたとすると、上の三条件を満たすように努力しないといけないですね。最初の「聞く」力。これ、あまり自分は持ってないので、高めたいですね。相手がいったいどういう考えを持っていて、どういう状況にいるのか。上手く把握しないといけません。次の条件、「専門分野が相手の立場においてどのような位置に存するか」。モギコク内での専門分野といえば、たぶんプロシージャーとディレクの仕事でしょう。この二つはなかなかに自信があります。けれども、自分は大会のディレクをやったのであって、研究会のディレクをやったわけではありません。相手がディレクとしての自分の体験、オーラルヒストリーを求めている場合は、相手が求めている自分の歴史を選別する必要があるでしょう。最後の条件、「専門分野と実社会の結びつき」。これは、うーん……。ディレクの体験でいうと、研究中の人間関係とか、大学の単位とか(苦笑)でしょうか。なかなか明確に、しかも負でなく正の印象を持ってもらうことは難しいように思いますね。逆に言えば、なのですが、ここで負の印象しか語れないことが、近年のディレク離れ(私は、ディレクになりたいと言う人が減ってきているように感じます)を生んでいるのかもしれません。ディレクの良さを具体的にはなかなか語れません。


 最後の条件は、もしかしたら、抽象的な専門分野の良さではなく、具体的な専門分野の良さを述べる、というふうに言い換えることができるのかもしれませんね。そうなると、文学的な比喩の素養も求められるような気がします。なんか大変になってきましたね。この辺で終わりにしましょう。


 今日の記事は、かなり書きなぐりの、結論の無いノートのようなものですが、お読みいただきありがとうございました。

2013年1月10日木曜日

自省――"Power"を認識すること

こんにちは。
新年も明け、すっかりテスト週間になりましたね。

模擬国連を離れてかれこれ3週間くらいです。まだ抜けきってないです。はい。
進路も全然未定でお先真っ暗なんですけど、ちょっと面白い動画とか見つけたんで、紹介したいです。




その前に、動画の前振りで、模擬国連の話をします。

模擬国連、やっている人なら分かりますけど、交渉ゲームです。
国連総会という場で言葉の討論をして、票を集めて決議案を通すシミュレーションです。
多分、こんな定義で大きな間違いは犯してないでしょう。


このゲーム。総会は一国一票ですから、私たちは結構票集めに必死になるんですよね。
議論も大事なんですけど、最後は票を集めたほうが勝つんです。
だから、ほんとは最初からG77+Chinaって言われている、国連の途上国グループが強いんです。

模擬国連のディレクターさんたちはつまんない会議をみたくないエゴイストばっかりですから、できるだけ先進国と途上国の数の差を縮めて、このG77+Chinaと先進国をイーブンな状態で戦わせて、議論させようとするんですね。

で、さらに模擬国連には、シミュレーションの後のレビューってものがあります。
ここで、エゴイストなディレクターさんたちは、「アメリカと交渉していないのは遺憾だ」「多国間協調の精神が足りない」とか言うわけです。

私たちもぎこっかーは、ディレクターのご都合主義というか、議論を成立させるための場づくりの中で、いつの間にやら多国間協調の世界の中にいるんだ! という、まぁ最近の世間でもありていな認識の中に立つわけですね。多国間協調の意味は曖昧ですけど。


もともともぎこっかーを目指される方は、国連を理想的に見ているきらいがあるので、そういう方向に自分も向きたいという願望があるので、当然そのディレクターの意思にのって、慣習として「できるだけ議論しなければいけない」という方向に流れていくわけです。
(言い方少し悪いですね。ごめんなさい。私も高校生の頃は国連は綺麗なところで、開発とかやってるとこだと思ってました)



けれど、もぎこっかーの私たちが見落としているものがあります。

"Power"です。

国際関係論をやれば、真っ先に出てくるこの単語。嫌いな人も多いでしょう。でもしっかり向き合わなければいけません。


先ほど、「アメリカと交渉していないのは遺憾だ」という話をしましたけれども、これは"Power"という面からは確かにその通りな話で、アメリカとアメリカ以外の世界の軍事費は現在ほぼ拮抗状態にあるんですね。軍事面だけでなく、経済面、知的財産面、あらゆる部分でアメリカの"Power"が強力なことは言うまでもないことだと思います。


ところが、そのPowerがtransitしていることも事実でしょう。大事なのは"Power Transition"を分析することで、今後の未来をどうデザインすることだと思います。アメリカ優位な世界から、徐々に中国が強力になっていってますね。2010年には中国の名目GDPが日本を抜きましたよね。だから米中2強になっていく。これからはG0なんだ、という人たちもいますけど、それでも米中が強い。

さらに、BRIiCSという存在もある。一応国を書いておくと、ブラジル・ロシア・インド・インドネシア・チャイナ・サウスアフリカですね。こういった存在にパワーがシフトする。しかも、これだけじゃなくてNext 11っていう潜在的な国々もいる。


僕らは"Power Transition"を無視しすぎなんじゃないでしょうか。


模擬国連だけじゃないです。むしろ模擬国連の知見を現実に活かすときに、これからの日本でどう生きていくのか、そういった未来予測に"Power Transition"の要素があまりに組み込まれていない。これは私たちが軍事費とかそういったものに着目しなかったり、就職活動の最適行動がこういった"Power Transition"に着目することではなかったり、さまざまな要因があると思います。

けれども、少し考えないといけないことがあります。僕らがバリバリに働くことができるのは30代後半から40代だとすれば、20年間の変動というものを考えないといけない。

20年前。日本はジャパン・アズ・ナンバーワンだった。バブル最強でしたよね。そして冷戦が終わった。
ところが、僕らがここまで生きてくるあいだに世界は大きく変わりました。北朝鮮が核を持ったのは僕らが生きてる間ですし、中国に抜かれたのも僕らが生きている間です。ユーゴもそうですよね。
20年で世界は変わるんです。バリバリに仕事をする頃ってのは、今とは違う世界のはずです。

では、冷戦後の20年間を見てきた僕らは、この後の20年をどう予測すべきなのでしょう。


この予測に、模擬国連が非常に有用だと、僕は思ってるんですね。
そのためには"Power Transition"を理解して政策立案・会議行動を行う必要があるわけですけれども、じゃあどう理解するか。

僕は今日、ある動画を見て、非常に感銘を受けました。
慶應大学のオープンキャンパスの動画です。


例えば、30年後くらいにもしかしたら中国がアメリカに「軍事費で」キャッチアップするかもしれない、と言及されています。
例えば、その中国に対してアジアが連携すれば、なんとか対抗できるかもしれない、と言及されています。
ゴールドマンサックスやSIPRIの統計から、いったいどんな未来が見えるのか。オープンキャンパス動画だからってナメないほうがいいと思いますよ。私は喝を入れられた気分で、これまで模擬国連で何をやってきたんだ、と思い知らされました。自省です。


それでは、動画を見てください。4分割の動画で40分くらいですが、間違いなく見て損はないです。






2013年1月5日土曜日

模擬国連を去る前の最後の会議の7つの心構え

あけましておめでとうございます。今年もこのブログ、もう少しだけ続けさせていただきます。
昨年同様、変わらぬお付き合いをどうぞよろしくお願い申し上げます。



さて、年末の全日本大会、皆さんどうだったでしょうか?

Facebookを見る限りでは好評価ですね!
……って、それはある程度当たり前のことなんですね。

模擬国連は発言した人が楽しくなるサークルなので、そういう人がよく投稿するFacebookで模擬の会議の評価が高まるのはあたりまえ。
今回の記事は、そういった「もぎこっかー」ではない人たちに向けて発信します。



すなわち――全日本大会に参加しなかった人、参加したけど能動的に楽しめなかった人、最近模擬国連で中途半端に活動してるなぁ、模擬国連にいるけど会議はちょっと……、という人に送ります。


そういう人たち、だんだん模擬国連が嫌になっていませんか?
サークルの変え時かもしれないこの時期。模擬国連じゃないところに羽ばたいてみよう。
アリだと思います。実際、(大学生6年間やる私は微妙ですが)私もそういう立場にあるので、お気持ちは理解できます。

……でも!!

最後に一回だけ、会議に出席してほしいんです。
それは春会議

次に所属するサークル活動を決めるのは新春からですから、その前の春会議に、最後の最後に自分が模擬国連にあっているのかどうかを確認してほしいんです。

もしかしたら、楽しみ方を知らずに模擬国連会議が楽しくない、と思っているのかもしれませんから。



そこで、私から、模擬国連会議を楽しむための7つの心構えを用意してみました。
これをやって模擬国連会議が楽しくなければ、本当に模擬国連に向いていないんだろうと思います。

これだけやってだめなら、模擬国連を去るのも一つでしょう。
でも、たくさんの人は、これをやって模擬国連の魅力に気づくと思うんです。逆に言えば、これをできてないから模擬国連が楽しめないのかもしれない。今はまだ、本当に模擬国連が好きかどうか、分からない状態だと思います。

だから、春会議。この7つの心構えを実践して、挑戦してみませんか?






【リサーチ編】

・BGを読め!
 これまで、BGを読まずに会議に参加したことはありませんか?
 一度、じっくりBGを読んで会議に参加しましょう。


・担当国に誇りを持て!
 担当国のリサーチをやったことはありますか?
 国歌を聞いたり、「地球の歩き方」を読んだりして、関心を深めましょう。あなたは大使なのですから!

【リサーチ・会議間の準備編】

・文言を準備しよう!

 文言を準備してくるのとそうでないのとで、会議の面白みが一気に変わります。
 文言を作ると、その文言を守るために何を考えなければいけないか、賛成してくれる国をどうやって増やそうか、と夢が膨らみます。
 しょうもない文言をたくさん作っても仕方がないので、洗練された文言を3~5個用意しておくのが、会議を楽しむコツだと思います。

【会議行動編】

・準備した文言について話せ!

 さぁ、会議です。喋りましょう。え、喋るネタが無い? 準備したじゃないですか。
 「あなたの文言について」ですよ。
 スピーチでもインフォーマルでも、自分の文言の素晴らしさを訴えてみてください。その機会をずーっとうかがっておくんです。
 賛成する国が増えたとき、めっちゃうれしいですから。 


・論破されても投票は変えるな!

 最近、ロジモン(ロジックモンスター)という言葉が流行っているそうです。
 ロジモンのひっさつわざ! 「ろんぱ!」 みたいな感じで、模擬国連では論破って言葉が拡がっていますよね。
 某ネット掲示板ツーchなどでも「完全論破」とかそういう言葉があるみたいで、筆者はあまり好きではありません。
 論破したところで国際問題は変わらないです。(私見では、むしろ相手の態度が硬化して険悪なムードを醸成すると思います)心から納得しない限り、論破されても投票行動は変えてはいけませんよ!

・妥協できない文言が通りそうなときは、共同で反対する仲間を頑張ろう!

 さて、論破されて自分の文言が潰されそうなとき、また相手の文言が通っちゃいそうなとき。
 仲間を探しましょう。
 あなたはアメリカとかを担当していない限り、独りではありません
 たとえ投票で負けるとしても、一カ国でなければ、反対することで国際社会に「反対意見もあるんだ」という証拠を残すことが出来ます。これ、大きいですよ。決議を残すことが大使の仕事じゃないですよね。国益を得ることですよね。

・絶対に空気に流されるな!

 コンセンサスとかいう空気、多いですよねー。
 ダメですよ、こういう空気に飲まれるのは。
 反対すべきポイントがあれば、仲間を作ってコンセンサスをやめさせましょう。
 ここで「会議や会議を作ってくださった研究会・ディレクに悪い」なんてこと、思わないでくださいね。
 あなたは会議中は研究会の会員じゃないんです。一国の大使なんです!



大使やってましたか!!

大使やらずに模擬国連去らないでください……
(><)
OBからの切実な願いです。




以上、少し長くなりましたが、春会議に向かう新メンへ7つの心構えを提示しました。

私の友人にですが、「模擬国連は何でもできる」ということを言っている人がいました。一方で、ある人にとっては「何でもできない」場所であることは否めないと思います。でも、辞めるのは、本当に「何もできない」場所なのか、一度確認してからでも遅くないんじゃないでしょうか。

多くの人がステップアップとして利用する春会議。一度全力でぶつかって、模擬国連が自分にふさわしいかどうか、確認してみませんか。

願わくば、この投稿で模擬国連が好きだよ! という人が増えんことを……