2012年12月20日木曜日

自助の精神とPPP


このブログに「勉強会の風景(続く)」という記事がある。
全然続いていないじゃないか、と言われそうだけれど、その通りです。すいません。

研究会と模擬国連会議の大会の役割についての一考察を書くつもりだったんです……。


ただ、少し状況が変わりまして。
今日をもって日本模擬国連(JMUN)を離脱して、もぎこっかーを辞めることにしました。

もぎこっかーを辞めてもMUNerは辞めない、なんてわけのわからんこと言ってますが、自分の中で一つの区切りをつけることは間違いないです。

そこで考えました。

研究会と大会の話は、一般peopleになって会議を開いたときに、改めて喋ればいいかな、って。


もぎこっかーを辞めても、2月には会議開くんです。ディレクやるんです。不思議ですよね(笑)
お前それはおかしいやろ、って言われるかもしれませんが、まぁ本人がこう言ってるんでそう言わせてやってください。




で、もぎこっかーを辞める今日に何を書くか。

だいたい決まってました。

「自助の精神とPPP」が今回のタイトルです。


PPPといえば汚染者負担の原則。なんか一部界隈ではPPP="Position and Policy Paper"らしいですけど、ここでは違います。

Practice, Practice, and Practiceです。



とりあえず今日皆さんにお伝えしたいのはこれだけなので、後はこの言葉に意味づけしていくだけになります。




1. ガラパゴス模擬国連



さて、自分が発した言葉の中で、モギコク界隈で最も知られているのは、たぶん

「ガラパゴス模擬国連」

じゃないのかな、って思うんです。

今振り返っても、たぶん自分がモギコクヒストリーに何らかの影響与えたか、って言われたら、
この言葉の精神にのみ自分の意義が認められるんじゃないかな、って思ってます。


この言葉の意味は、「日本の模擬国連、とりわけ日本模擬国連の会議はやたら難しい。
どう難しいって、知ってる人しか楽しめないような構造になっている。
国際的な潮流とも違うし、かといって効率的とはとても思えないような仕組み、慣習ばっかりだ。
まるで鎖国していて、独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の動物みたい」ってことです。


よーするに、今のモギコクは時代遅れって指摘したんです。

ガラパゴスにはガラパゴスなりの魅力があるのかもしれませんけど、私に言わせればWPとかP/I(Point of Information)ってのは絶対悪です。
あんなん制度的に存在不可能ですよ。

今日ここでずっとその話してもいいんですが、今回の本筋はそこじゃありません。


この「ガラパゴス模擬国連」という言葉を発するまでの覚悟。そこに至る経緯。そっちが大事です。




この言葉は、アンチ・ガラパゴス=ウィルスとなる独自プロシージャーを運用しないと、大会で発言してないでしょう。
この言葉は、自分の議題構想を理解して現実の議場に持ち込んだ議長の助けがなかったら、出現していないでしょう。
この言葉は、自分がディレクをやっていないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分をディレクに誘った大会DGがいないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分が海外の模擬国連に出てないと、出現していないでしょう。
……


延々と条件が浮かびます。

これらの条件、少し自惚れますけど、自分の「信念」がなかったら、繋がることがなかったと思います。

海外の模擬国連に出席する機会をたまたま手に入れて、そこで発見した問題意識。
その問題意識を実際に形したのは、自分の信念に他なりません。
たくさんの助けをもらいました。たくさんの力をもらいました。
でも、信念がなかったら、関西大会のディレクあいさつで「ガラパゴス模擬国連」って言葉が生まれることはなかったでしょうね。


こんなことを言うのは、自分のこれまでの経験があるからです。





2. 教訓をくれた「失敗」たち



プロシージャーを変更して、模擬国連の統一プロシージャー作り。
関西圏でシステマティックな学習機会を設けるための、1年間の各会議の工程表作り。


いろいろやりたいことはありました。この2つは、その中でも自分自身で実際にやってみよう、と試みたものです。

両方とも失敗しました。
その理由はいろいろあるんですけど、やっぱり自分でコストを払うことを躊躇したからかな、って思いますね。そこまで言わなくても、コストに対するかなりのリターンを要求していた。

2つとも、企画書を書いて、実際に諮問させるところまではいきました。
ただ、そこで反対されたときに、それでも「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力は無かったんですよね。

振り返れば、この2つ、もし企画段階で賛成されていたとしても、うまくいってなかったんじゃないのかなぁ。


「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力が必要な理由は、結構明白です。



今読んでいるもぎこっかーの人は、運営畑、研究畑、デリ畑のどのカテゴリーに属していますか?

自分は多分研究畑なんです。

で、もぎこくの研究会執行部とか大会運営って、運営畑と研究畑が混ざるじゃないですか。

基本的には研究畑の人がやりたい議題とか、研究畑の人が持っている問題意識を解決する企画が実行されるんですけど、
これ、運営畑の人にどうしてもウケが悪くてね。ウケが悪いって、印象が悪いわけじゃありません。そうじゃなくて、熱を共有することがなかなか難しいってこと。

やっぱ、運営畑の人って研究なんてある意味どうでもいいんですよ。笑

運営の人は、議題の研究とかプロシージャーとかそんなことより、リーダーシップとかフレンドリーシップとか、
もしくは人間関係の発展・維持のほうを重視していると思います。別に非難してるわけじゃないですよ。でも、研究畑の人間とはちょいと思考が違うんじゃないかな。

時たま、研究畑が力を入れたいところ、運営畑からは「どーでもいいじゃん」って思われるところが出てくるんですね。
で、これが結構両者の中で大きな違いになってくる。もしかしたら、互いの人間関係に悪影響を及ぼすかもしれない。

そこで、「俺は何と言われてもやる」って言えますか?

多分、ここでそう言えないんだったら、友情とか場の空気とか、そういうのに飲まれて自分のやりたいことをダイレクトに実現できないんですよね。



運営畑の人も一緒だと思います。

研究畑の人間は、はっきり言って変人が多い。(変人じゃないとやってらんないことが多いからですね)

そういう人を運営に入れていると、場の空気を維持するために、意見を切り捨てることが必要になったり、
もしくは反対論を押し切ってでも企画者のおぜん立てをする必要が出てくる。

ここで、自分のポリシーを貫けるかどうか、が問われてくるでしょうね。

貫けないなら、1年間の運営はなぁなぁで終わり。「頑張ったね」の声はもらえると思います。けど、なんか虚しくないですか。それは。
貫けたなら、少し衝突することはあるかもしれないけれど、何か残るんじゃないですかね。


勿論、柔軟性を失ってはいけません。けれど、研究も運営も、自分の「やりたいこと」「ポリシー」そういうものがあるんだったら、実現まで走りきらなきゃいけません。たぶん、助けは勝手にやってきます。


統一プロシージャーの策定とか、会議の調整(研究調整部門って呼んでました)とかは、ノンストップで走りきれんかったんですね。ここらで諦めざるをえんか、そんな思いがあった。だから反対論が出たときに、自分の意見を押し通せなかったんですね。有体に言えば、失敗(リスク)を恐れて失敗した(やらなかった)。



じゃあ関西大会はどうやったか、ってことなんですけど、これは自分の中では結構うまく覚悟を持てた。途中止まりかけたときはあったんですよ。でも、背中を押してくれる声があって、それで再始動できるくらいには覚悟があったんですね。だから最終的に、かなり思い切った独自プロシージャーを作れたと思っています。野心的な準備期間もできました。宇宙会議で46人って、なかなか考えられないですね。

割と賭けでした。エッセイ式のPosition Paperなんていうのは、下手したら誰もまともに書いてくれないかもしれないわけです。書いてくれなかったら、事前交渉というのは禁止してましたから、当日の議論にしか期待する余地が無くなる。当日の議論なんて、下準備が無ければ薄っぺらいものになるでしょうから、参加者も自分(会議監督)自身もつまんないものになったでしょうね。それが実際は、46人中44人がペーパーを提出した。

こんな賭けができたのは、ひとえに意志があったからです。失敗してたらどうする、って反論はありますよ。まぁその時はその時で、たぶん来年あたりに全日で再チャレンジしてるんでしょうね。それはIfの世界です。






3. 意志を実行するということ



「俺は何と言われてもやる」って言葉のなかで、一番大事な部分は「やる」ことですね。

Practice.

これが意外と難しい。

他人の協力があればそんなに難しくはないんですけど、日本の模擬国連って、そこらへんの共助関係がうまくできてないんですよね。残念ながら。足の引っ張り合いが多い。

先ほど運営畑と研究畑の違いを話しましたが、背景にはそういった事情があります。それから、多くの人が「俺は何と言われてもやる」っていう状態になると、企画に出る参加者の取り合いになりますから、競争原理が働く。日本のもぎこっかーは、この競争を嫌うんですね。和をもって尊しとなす。そんな意識があるのかもしれませんが、とりあえず今ある組織で対応しようとする。共倒れは嫌なんですよ。新しい企画をやるくらいなら、今ある企画をレベルアップさせた方がいい。分からんでもないです。

とりあえず今ある組織で頑張ろうとするので、そうなると運営畑の縦の繋がりが生まれます。前年度やその前の年の同じ役職の人に、意見を聞くでしょう? あれです。縦の繋がりは結構保守的で、当然のことですが、新年度の運営畑は前年度の運営を継承しようとします。そうすると、革新的な意見はなかなか通らんくなる。これはいいことでもあるんですよ。新しいことに挑戦することはやっぱりリスキーですし、失敗すると集団にかかるダメージはでかい。だから、大きな組織になればなるほど、だんだん保守的になるはずです。
でも、何かにチャレンジする個人にとっては障壁ですわな。そういう人は、この障壁をどうするか、が大事です。




① 障壁を飛び越える列車に乗る


これがベストな解ですね。ディレクで実現できそうなことだったら、大会のディレクをやる。(大会という列車に乗る)その上で、少し無茶をやらかす。ある程度大会の方針に従っておいて、譲れない線は妥協しない。少し怒られるかもしれませんけど、人を利用する上手いやり手ですね。



② 障壁を迂回する


①ができないとき、どうするかが大事です。
つまり、「ディレクをやりたい」と言ったときに、君の言ってることは相当に無理があるからやめとけ、って言われたときですね。

これ言われるってことは、企画してるものが相当リスキーなものってことなんで、企画の再精査をやることをおススメしますけど、単純に人間関係で障壁を飛び越える列車に乗る機会を失うこともあるんですよ。そういう人、いますよ。

「俺は何と言われてもやる」ですから、やらなければいけません。男児たるもの、退くわけにはいかんでしょう。(別に老若男女関係ないですけど)

お利口なやり方ではないですけど、こういうときは、組織から離脱する、という方法があります。

自分もやったことあるんです。(現在進行形でもやってます)


研究会の会議って、まぁいろいろ面倒なものでして、「今ある会議」に人を集中させたいがために、なるべく新規の会議を開かせないようにするんですよ。
いろんな名目を使ってね。

実際問題、1ヶ月に1つ以上の会議は参加者にとってかなりの負担ですから、この方針は合ってるといえば合ってる。でも、特例っていろいろあるわけで、そういうところを突けば自分の意思を実現させられるかもしれません。


こういうときに、「日本模擬国連の会議じゃありませーん」って言って、会議をやることがあるんですね。
(というか、私がやってます)

今年は全日本大会と応募期間が被る私的な会議を開いてますし、去年は全日の一週間前に会議をやってます。
当然怒られますし、全日に影響しないように配慮はします。

でも、関西にいたら全日に出ない人は山ほどいるわけで、そういう人で出ないと決めきってる人は何があっても出ないわけです。
その人たちからしたら、全日前後1ヶ月ほどに会議をやれない、っていう縛りは不条理なんですよね。

だから、去年はこの縛りがない状態にするために、少なくとも名目上は「日本模擬国連」の外の会議にしたんです。

今年も何か言われないために外の会議にしています。

企画を妨害する組織の壁を迂回する方法はあるわけで、問題はそれを実行するだけの意思があるかでしょう。






4. まとめ――Practice, Practice, and Practice



さて、正直今日は(も)筆が乱れています。あっちへいったり、こっちへいったり、ですが、ここまでのことを無理やりまとめてみましょう。

まず、自分が「やりたいこと」自分の「ポリシー」を貫くこと、そのための信念が必要ということを言いました。
そして、その信念を「俺は何と言われてもやる」と言って、実際に形にすることが大事と言いました。



要は、「やる」ことが大事。


周りをうまく動かす、とか、他人の助けを巧く借りて、とか。そういった予防線はいけないんですね。
自分が率先してやれるかどうか。企画の生命線はその問いに存在してます。


計画も大事ですよ。
plan-do-check-act cycleっていう、いわゆるPDCAサイクルとかを使って、上手く計画→実行することも時には大事かもしれません。


でも、学生時代っていう時間が有り余っている環境では、成功の是非は単純に"do"と"act"にあると思います。
やるかやらないか。実に単純ですね。

(※ PDCAの批判してるわけじゃありません)


模擬国連でプレゼンテーションを学ぶ機会がありましたが、その時の講師の方が仰ったことには、プレゼンテーションは体得するもので、ひたすら「やる」こと、つまり"Practice, practice, and practice"――とにかくpracticeが大事なんだ。そういうことでした。

精神論に聞こえると思いますが、的を射ていると思っています。


今回のブログ記事では、ちょっと意味は変わってしまうんですけど……このPPPを大事にしたいです。

人を動かしたり、説得したり、そんなことの前にまずpractice。
協力してくれるかどうか、迷う前にまずpractice。
Practice, Practice, and Practice.


Practiceの一歩が踏み出せないなら、きっとその企画は価値が無いか、魅力が無いかのどちらかです。



私じゃなくて、一歩を踏み出せないあなた自身の行動が、そう言ってるんですよ。きっと、ね。



http://12thkmuncdisec.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.htmlで書きましたが、
今の日本模擬国連は異常です。来年の運営代表がまだ未決定ですから。

このような時代では、事務局や代表者といった、上の階層からの「助け」はあまり期待できないんじゃないか、と思いますね。
上の階層の方々、現役を並行されているかもしれませんけれど、やっぱり彼らには彼らなりの優先順位があって、現場でデリデリしながら"Practice"する人たちの優先順位と必ずしも一致するとは思えんのです。

なんかの映画でありませんでしたっけ。事件は会議室で起きてるんじゃない、とか叫ぶやつ。
運営は会議室で起きてて、企画は現場で起きてるんじゃないかな。

そして、残念ながら上の階層には上の階層に山ほど仕事が残っているし、宿題が積み重なっています。いやーな縄張り意識に基づく官僚主義的なところも、どうしても存在すると思います。

だから、これからはどの研究会も個人も「自助」を目指さんといかんのです。自分で"Practice"を完遂する意思をもたないと。
じゃないと、期待してた助けがなくて、思わぬところから崩れていくんじゃないかな。





自助の"Practice"スタイル、私は現在の駒場研究会の「ケンブリッジ国際大会」出場とかに萌芽がみられると思ってます。

期待したい企画です。これからはこんな企画が日本の模擬国連の未来を切り開いていくんじゃないかなぁ。

そういう企画が増えれば、ガラパゴス模擬国連もなんとかなる。そう信じます。













ここまで偉そうなこと書いてきましたが、日本模擬国連にはお世話になりっぱなしで、貢献できたかと言われると怪しいです。
運営畑には散々なこと言ってますけど、彼らなしには自分はいませんし、感謝することでいっぱいです。

不遜な言い回しをしてます。でも、約3年間で学んだことの大事なエキスだと思います。これを書くことで、少しでもJMUNへの貢献になっていれば幸いです。



See you, JMUN.
マヤ歴が終わっても、日本模擬国連は永遠に。


2012. 12.20

2012年12月19日水曜日

BG公開

私のもぎこっかーとしての旅も、ほとんど終盤に差し掛かってきました。


そこで、これまでのもぎこっかーlifeの中でももっとも力を注いだ関西大会のBGを公開しようと思います。


BG(Prevention of an Arms Race in Outer Space) vol.1

BG(Prevention of an Arms Race in Outer Space) vol.2


上のリンクをクリックすると、関西大会のBGを閲覧することが出来ます。


【追記 2013/4/28】
BG vol.2を公開しました。
第11章では、若いながらも頑張って国際関係の概要をまとめました。ぜひご覧ください。



宇宙の軍備規制の政治状況・法規制というのは、なかなか研究資料を集めるのにも困難なことが多く、もし将来模擬国連会員で宇宙の軍事競争についてリサーチしたい、という人が出てきたときに、少しでも参考になれば、と思います。


本BGでは最近のTCBMの動きやSpace Traffic Managementの動きを追えなかったことが心残りでもあります。将来、どのように状況が変動しているか分かりませんが、ぜひとも最新の知見を探求してほしい、とまだ見ぬ将来のディレクターにエールを送りたいと思います^^


閲覧はもちろん、引用も許可します。引用する際は、しっかり引用元を明記してくださいね。
それから、孫引きはダメですよ。基本は原典にあたるのがマナーです。このBGは、原典への道しるべと思ってください。

2012年12月16日日曜日

大事件に思うこと。


自民党圧勝の衆院選模様が伝えられる中、ひっそりと今週末に、模擬国連業界でも次の代表を決める運動が行われていた。



ところが、今年は事件が起きたようだ。

昨年からの改革運動を受け、関東事務局と分離されることが決まった「JMUN Office(仮称?)」。
そして従来の関東事務局の主要役職。


これらのすべての役職が、空席となったと聞く。



これは前代未聞の大事件ではないのか。

日本模擬国連設立から数年しか経っていないけれど、その前団体も含めて、これまでこういったことがあったことはないんじゃないだろうか。

私は関西の人間なので、関東でどのような運営が行われ、どのように引継ぎが行われたのかは詳しくは知らない。

けれども、一会員としてこの事態には非常に強い危機感を覚えているので、筆をとっている次第だ。




おそらく、関東事務局がこれまで日本模擬国連の中枢業務を担ってきた歴史を考えるに、この役職空席の事態が長引けば長引くほど、日本模擬国連にとっては損な状況が続く。

ひとまず「延期」なのか「暫定措置」なのかは分からないが、現運営陣には速やかに何らかの措置を求めたい。


私としては、現運営陣はどうしても就職活動など様々な行事があるため、現運営陣をそのままそっくり事務局として任期を延長する「延期」は適していないと考えている。

そのため、何らかの暫定措置が必要なわけであるが、関東研究会/支部会長のいずれか誰かが事務局長暫定代理を務めたり、関東事務局不在のまま関西事務局がJMUN Officeとして存在したり、いくつかの方策があるのだろうと思っている。

どのような方策が取られるのか、注視したい。





さて、運営側の視点はさておき、このような状況は何故起き、そしてどうすれば解決できるのかを「マンパワー」に着目して、少し考えてみた。




現在の模擬国連は「人間不足」と言われている。
関西総会でも数回にわたり言及されたし、関東のこの現状を見れば、この言い様は理解できる。

だが、本当に人数が少ないというよりは、マンパワーの減少というのが正確な言い回しのように感じる。

役職に人が集まらない。
集まった役職も適切に運用されない。

こんなところじゃないだろうか。

昨日の日本模擬国連ホームページがハッキングされた事件は、ホームページの管理という最低限の運営が行えているのかどうか非常に不安な点を私たちに示してくれた。

集団として一つの構成要素(日本模擬国連)を成立させるのがよいのかどうかが問われるレベルまで、運営のマンパワーは低下しているように私は感じている。



このマンパワーの減少だが、私は個人の能力が低いから起きた現象とは感じていない。

そうではなくて、個人の能力を阻害する何らかの問題があるから起きた現象だと思っている。

その問題とは、意志決定過程の曖昧さだ。




いったい誰が何を決裁して、何を実行するのか、今の日本模擬国連はよく分かっていないのではないか。

研究会、支部、事務局、日本模擬国連、事業……さまざまな集団があり、その中にさまざまな役職がある。「総会」で決めるのか、「代表者会合」で決めるのか、さまざまな意志決定プロセスの節があるが、それらの役割もよく分からない。

だから、自分がどういう役割も担っていて、何をしなければならず、また何ができるのか、正直いろんな「代表」は分かっていないんじゃないだろうか。


その元凶は何か。


私は、それは「代表」選出の際の甘さの中にあると思っている。



日本の選挙と違って、サークルである私たちは、別に民主主義を採用する必要はない。


たとえば、てきとうに誰か会員1人がリーダーに非民主的方法で選ばれたとする。優れたリーダーがいれば、そのリーダーが指し示す方向に向かっていけばよい、と考えることもできる。
(むろん、暴走には注意したいけど)

けれど、リーダーが暴走する人間だったり、仕事をろくにしないぐーたら人間だったりすると、ついてくる人がいなくなる。サークルなので、ついてこない人は罰せられないから、日本模擬国連は衰退する。

このように非民主的方法は不安定だから、私たちは一応、サークルの代表を民主的に選出しているのだろう。


けれど、民主主義的な選出プロセスは、選出される側にとっては別の大きな心理効果をもたらすと思う。


リーダーが決定されると、そのリーダーは普通は様々な権限を持つことになる。

ところが、現状ではそのリーダーを決める際に、リーダーがどれだけの権限を持っているのか明確に指定されていない。
これでは本当ならば会員は信任することもできないだろう。(後述するように、来年度の運営が人質なので、会員は信任せざるを得ない)

その場でいったんは信任するのだけれども、リーダーの権限に正当性が無いから、
反対論が出てきたときに、リーダーは尻込みすることになる可能性がある。
(尻込みしなくても、そこで突っ走ると暴走になるだろう)

リーダーが「自分は選ばれたのだ」と自覚し、一歩上の立場から団体を俯瞰し、指示を下すことができない。そうなってはいまいか。

もちろん、さまざまな人の意見を聞き、ボトムアップとしてそれらを集約していくことも可能ではある。けれど、現実問題として日本模擬国連全員の意見をまとめあげることなど、できはしないだろう。

反対あれども実行する人間が、必ず必要なのだ。そうしないと、さまざまな役職に就く人間ののマンパワーを引き出す人間がいないし、リーダー自身のマンパワーも低下してしまう。

実行する人を生むには、自覚するためのプロセスが絶対不可欠だ。
今の総会での承認は、そのプロセスになっていない。私はそう思う。




また、リーダーが選挙ではなく承認される、という仕組みになっているのも大問題だ。

ここ数年の事務局長選出プロセスは、関東関西ともに一部の会員の密室で一名の候補が選ばれ、
その候補が総会で承認を受ける、というものになっている。


ところが、これでは「次世代の運営をつぶす」か「信任」するか、の2選択肢しかなく、
来年度の運営を人質にとって承認を迫っているようなものではないか。

これは総会に来る会員にとっても、リーダーにとっても不健全な事態だと考える。

事務局の役職を決める前に、まず事務局に入りたい人は、全員が事務局長候補として立候補してはどうか。
そうすれば、2人以上の選挙によって、事務局でやりたいことも明確に会員に伝わるだろうし、
選挙の結果で実行することも「総会会員の同意」が得られるのだから、リーダーも自信を持って動けるようになるんじゃないだろうか。



今回、選ばれる人間の自覚を生み出すプロセスを重視してここまでブログを書いてみた。

反対あれども実行する、そんな俯瞰的リーダーが生まれることで、さまざまな役職の能力が引き出され、総合的な組織としてのマンパワーが増大すると思っているからだ。

確かに、今は役職不在で来年の道筋が見えにくい困難な状況にある。

だけど、そんな今だからこそ……

新しい役職を安易に人に押し付けるリクルートをやったり、とりあえず誰もやらないなら自分がやります、といった立候補をやったりするのではなく、しっかりとした「選ばれ方」で選出者・代表者としての自覚を生む。

そして、その際に「代表者」とはどんな任務・権限を持つのかをしっかり確認する。

これらを丁寧に行うことが、大事なのではないか。

2012年12月9日日曜日

勉強会の風景(続く)


今日は、雪が各地で降り積もったという報道とは裏腹に、模擬国連は勉強会目白押しだったようだ。

私も、自分が個人開催する会議の勉強会を行ってきた。



企画している個人開催会議は、来年度に新しいメンバーを迎えることになる大学1年生に、
不安を取り除くためのスキルアップを提供しようとするものだ。

特に重要視していることは、文言の作成とその削除交渉だ。

最近は、条約交渉型会議や決議がそもそも作成されない会議が増えているが、
私は文言作成とその交渉こそが模擬国連活動の醍醐味だと思っている。

今のメンバーは、新入生大使を迎えるにあたって、文言の作り方を自分なりに習得していてほしい。
そうでないと、会議に自信無さげなまま運営の波にさらわれて、次に会議を楽しむ日が無くなってしまうから。


勉強会では、今期行われた前期会議の決議案をピックアップし、その欠点を浮き彫りにする作業を行った。
主文に対応する前文をチェックするだけで、前文のない主文がたくさんあることを、参加者は知ったようだった。

前文が無い主文――それは、主文の文言がなぜ必要なのか、明らかにされていないことを意味する。
これは決議案の体裁としてはよろしくないだろう。

根拠も必要性も確認されないまま、国家や国際機関へ要求が羅列されていたという事実に、参加者は驚いていた。
私自身も、教材を恣意的に選んでいたとはいえ、前文と主文の未対応の現実には驚愕せざるを得なかった。

例を挙げる。格差問題などを列挙している前文に対して、主文では農業教育の整備を謳っている。
深読みすれば関連性はあるけれども、格差が存在することからどうしたら農業教育が必要になるのか、直接的な言及がない。

これは「風が吹けば桶屋が儲かる」型の文言でしかない。

ところが、半数の主文がこういった桶屋文言だったのだ。


前文と主文の関係を考えたのちに、文言の意味を増幅/減少させる練習も行った。

「コメントによる削除要求」が文言交渉であふれかえり、結果的に文言製作者が妥協せざるを得ない。
そんな現実を打破するために、削除要求を前提としない文言の意味を弱める方法として、
動詞の変化と類義語の多用を紹介した。


最後に、即席の文言交渉(核軍縮交渉)を行い、勉強会は終了したが、
参加者の演習を見ていた私としては、今後の模擬国連を担う新星たちに大いなる期待を抱かせてもらった。

特に、参加者2名が秋から入ってきたメンバーだったが、
そのメンバーに知らない情報を教えつつ、協調して学び合う姿は感銘を受けた。
勉強会を開催した人間として、今日の3時間は誇りに思える時間だった。




だが、今回の勉強会で確認したことをもって、私が持っていた「ある問題意識」はさらに増幅したのである。(続)

2012年12月5日水曜日

春会議とプロシージャーを祭る文


さぁ、過激な文書の始まりだ。過激ゆえに、期間限定公開にしたいなぁ、と思っている。(批判・反論は大歓迎)
祭る文といえば、幸徳秋水の「自由党を祭る文」が有名だ。これだけで、私が何を言いたいか、だいたい分かるだろう。
要するに春会議とプロシージャーが死んでいる、と言いたいのだ。
(ちなみに、関西圏で、だ)


春会議は、私が新メンの頃から違和感を持っていた仕組みで、関西の(次期)旧メンのレベルアップを図るというのが大まかな趣旨なようなのだが、どうも納得いかないことがあった。


1)運営主体

もし次期旧メンのレベルアップが趣旨なのであれば、できればこの運営は(次期)老メンか(次期)神メンが扱うべきであろう。
議題リサーチなどが大変かもしれないが、レベルアップの観点から言えば、以前の議題の焼き増しで対応可能と思われる。
新歓前に、運営とdelegatesの二足わらじを履くべきではない。


2)目的

そして、最も春会議でブレていると3年間感じ続けていることが、企画の目的だ。
次期旧メンのレベルアップと言われているが、その内実が問題なのだ。
一応昨年度の話をしたいが、レベルアップの内実は、2点に集約されていたと感じている。

(A)ファシリテートのレベルアップ
(B)運営のレベルアップ

(A)についてだが、この時期の新執行部は、まず会議が成り立つことを優先させたいようだ。
その事情は分かる。
ただ、問題にしたい点として、「ファシリテートとは何か」という問いがまったく発されていないことだ。
私見によれば、昨今の関西圏模擬国連において、「ファシリテート」=挙手当て、といった認識がなされている。
しかしこれは間違いだろう。
ファシリテートとは、いわば議論の交通整理役だ。中立的立場から、議論の促進を図らなければならない。
その場合、白板のグラフィック=デザインやその他諸々の手段を通して、上手く会議のゴールをデザインすることが必要だろう。

さて、このファシリテーション、次期旧メンに必要な能力なのか、ということが問題になる。
私の答えとして、「あってこしたことはない」と言っておこう。だが、無くてもなんとかなる。
ファシリテーション能力が向上しなかった場合に可能な2つのやり方を提案しよう。

1、グルーピング・リーダーシップで代替する

そもそも全体で統合的な議論をやらない、という方法である。
超曖昧な時間軸だけ設定して、あとはグループの各リーダーシップに任せ、DR/AMへの賛否は最終投票で意思表示させるというものだ。
投票結果が全会一致にはなりそうにないやり方なので、この方式は反対する人が多いだろう。
(最近、コンセンサスありきの会議方式が主流だと思われるので)

2、議長がファシリテーションを行う

会議の議長が次期老メン/神メンであることを鑑みれば、議長がファシリテーションを行うことが最も適当だろう。
そもそも、国家間交渉においてとある国がファシリテーションを行うというのは、極めて難しいことである。
歴史をさかのぼれば、かの有名な鉄血宰相ビスマルクが「忠実な仲介人」を称し、ベルリン会議のファシリテーターを務めたが、
この実績は、ビスマルクが全ての国から誹謗中傷を受けた点から優れていると言える。
皆さんには、今の上の文書がおかしいように見えるだろうか?
私個人としては、矛盾がないと考えている。
当時の勢力均衡的考えや、国際関係論の基本的理解からすれば、会議の促進役が「よかった」と言われることが
国際社会の決定的対立を招くことは、自明ではないだろうか。

実を言えば、最近の模擬国連の「ファシリテーター」は、「よかった」と言われることを目指すきらいがあると思っている。
中立性を守ろうとして。
だがそれは、結局議論を進展させていないか、もしくは国際社会の対立を招く結果をもたらしていることが多いだろう。
さらに、ファシリテーターがどうやって議事進行を自分の国益につなげるか、などといった議論を聞いてびっくりすることがある。
ファシリテーターが自分の利益を追求するようになって、会議が成立するはずがない。
その人はファシリテーションの意味を間違えて認識しているか、「ファシリテーション」しているか、どっちかだろう。

こういった直近の事例を鑑みれば、議長がファシリテーションを行うことが、人材を活かす意味でも、ファシリテーションの本来の意味を取り戻すためにも、有益だろう。(ぶっちゃけるけれど、会議中、議長は暇である)

以上、ファシリテーション能力を春の時点で確立する必要性は無いし、それよりもっと別の要素を高める必要があると思っている。その別の要素とは、例えば文言を書くことだったり、リサーチをどうするかということだったり、様々だ。

新執行部はこの時期、どうしても次の代を担うということで緊張するだろうが、会員の隠れたニーズはファシリテーション能力を高めることではないのでは、と疑問提起しておこう。


さて、(B)に移ろう。運営の話だ。
京都研究会と神戸研究会は、ここ数年人数比が変動しており、直近ではほぼイーブンな形になった。
そうなると、運営の育成の話になるが、執行部のシステムが異なるため、両研究会の運営を同時に育成するのは非常に難しくなっているのではないだろうか。
昨年度は両研究会合同で運営を行ったようだが、運営活動の定位置(BOX)を持たない神戸研究会は、新歓活動をかなり早くから始めるため、運営に人的資源を取られ、大変だったと聞いている。もし運営の育成が必要なのであれば、この点に配慮することが大事であろうと考える。

さらに、運営に力を入れると、やはりdelegates能力の育成という面がおざなりになることも逃せない。運営に傾注すると、当然会議準備が疎かになる。そういった状態で会議をやっても、能力アップにはならないだろうし、むしろ通常会議で執行部メンバーが会議内容に手抜きする悪しき前例を作ることになると考えている。これは逆効果だ。


小括すると、

・春会議に関して、出来る限り早期に、目的を再構築すること
・両研究会の会員の(隠れた)ニーズをくみ取ること
・次期旧メンが会議に全力を出せるような構造にすること

この3点が大事だろうと考える。


関東のことはよく知らないが、確か同時期に老/神が3つほど議題を準備して会議を開いていたかと思う。
関西大会が存在するので同列には扱えないが、一度考えてみるとよいのではないだろうか。



ここまで予想以上に長くなったので、プロシージャーに関しては軽く触れる。

プロシージャーが最近問題だ。何が問題かといえば、合理的じゃなくなりつつある。
主な点を2つ挙げる。

(A)作業文書
(B)Point of Information

この2つは両方とも悪用されすぎている。日本独自で実施しているルールであり、海外の大会や国連のプロシージャーには存在しないから、当然かもしれないが……


(A)についてだが、どうも最近、スピーチの代替として使用されている。これはスピーチの意義を無効化するものだ。
また、作業文書が公式文書と扱われることを利用して、グループの意思を国際社会に表明する、というやり方を取ることがある。
(DRのスポシグが足りないとき、DRの提出をミスしたとき、など)
これは邪道すぎる。「国益達成のため……云々」と言う人がいるが、これはルールとして禁じられるべきだろう。DRの意義を貶めるからだ。
また、作業文書自体の数が増加傾向にあることも指摘したい。読まないぞ、誰も。

(B)のP/Iだが、問題にしたいのは、例のyes/no questionだ。
最近、明らかに誘導尋問な傾向が強い。yesかnoかで答えにくいような質問も多い。
このルールは、そもそもスピーチの内容を補完するために作られたものだと推測でき、その趣旨から最近の実用例は大幅に外れている。
答えるのが外交儀礼だ、といった慣習があるが、それはおかしい。


この2つの解決策は、議長権限を高めることだ。
プロシージャーの趣旨に不適切な作業文書には、フロントがサインしなければよい。
不適切なP/Iも、議長が「その質問は不適切なので回答しなくてよい」と言えばよい。
プロシージャーの改訂も解決策だが、それが実施されるまでの暫定手段は、議長が議会運営の一環として
これらのルール悪用を取り締まることだろう。
OBの方からは、そのような議長のやり方が以前は行われていた、と聞いている。





春会議とプロシージャーの話をここまで行ったが、私の最終結論は、議長の扱いをどうにかしなければならない、ということだ。

議長がただの置物(と言っては失礼だが……)である現状では、「ファシリテーター」なる奇妙奇天烈な存在を是認しなければならないし、その存在が前提となるならば、旧メン内にそのことができる人を作らなければならない、といった奇妙な焦りを生み、結果として模擬国連への魅力を失う人が出てきている(かもしれない)。また、プロシージャーの悪用も防ぐことが出来ない。

議長=ファシリテーターとなれば、少なくとも新歓時期に能力アップを目標とした春会議を開くことは、十二分に可能だと思っている。また、そのほうが模擬国連活動が上手くいくだろうという持論を持っている。





(批評のコメントお待ちしています。)

2012年12月4日火曜日

ディレクの本懐

そろそろ、モギコッカー(※1)としての自分の臨床カルテも終末に近づいてきたように思う。少し皮肉めいた話になるけれど、僕はMUNerとしてはまだまだやれることが沢山残っていると考えるけれど、サークルという形を取るモギコッカーとしての役目は、ほとんど残されていないんだろう。むしろ、他の人の可能性を摘まないように気を付けないといけないと考えている。


さて、そんな中で、自分のモギコクライフを振り返ると、結局のところ、最も自分が好きだったのは、BGの作成なんだろうと思っている。僕の夢の一つが、生涯で本を一冊出す(できればいいものを)ことなので、ある意味それに近いことが好きなことになる、というのは、妥当だろうと思っている。


これまでBGは4度書いた。

1)一昨年年度研究会でのBG(教育の資金調達メカニズムについて)
2)昨年度全日本大会でのBG(同上)
3)本年度関西大会でのBG(宇宙会議について)
4)本年度全日本大会でのBG(政策立案について)

特に全日本大会は、一度も出場していないのに、2度も執筆させて頂く機会をもらい、感謝している。

さて、BG writer≒ディレクとして、自分がディレクとして後代に遺したいものを述べたいと思う。


ディレクがBG執筆を終えて最初に感じることは達成感だけれども、その次の瞬間、何とも言い難い後悔に苛まれることが多いんじゃないかと思う。その後悔というのは、議題や会議について自分が書いてきたことを、もっとうまく書けたんじゃないか、ということだったり、書いたことが事実たらずじゃないか、ということだったり、様々だ。そうなると、できれば自分のBGが引き継がれ、どこかでブラッシュアップされると、ものすごくうれしいということになる。


自分がディレクとして書いたBGの議題は、"Prevention on an Arms Race in Outer Space"だった。この議題について、遺されているBGはほとんど無かった。それでも、自分のBGはモギコッカーの熱のリレーだったと思う。例えば、仙台模擬国連の宇宙の平和利用について討議しているBGは参考になったし、主要参考文献として使用した本は、模擬国連OBの方だった。出来る限り先代の意思をくみ取りつつ、自分の文書として再構築する作業は、なかなかに骨の折れるものだけれど、(引用ばかりだとコピペでしかないから、孫引きにならないよう、文献は遡って調査しなければならない)そこを頑張ることで、新しい生産価値を少しでも作ったつもりだ。

現在、自分のBGの不満な点としては、(体裁の不備などを除けば)少なくとも宇宙政治について統合的な論点を提供できなかったこと、公共財の視点から見た宇宙政治の論を展開できなかったこと、最近のトレンドであるTCBM(透明化・信頼醸成措置)を排除したことなどが挙げられよう。もし今回、宇宙政治についての私のBGが後代に継承されるならば、リサーチの時間が多少は省くことができ、これらの問題点も余った時間で解消してもらえるかもしれない。ささやかだけれど、こういった伝承は嬉しいものだ。ディレクの本懐だろう。

ところが、日本の模擬国連はデータ媒体でBGを継承する術を、(今のところ)持っていない。著作権などいくつかの技術的ハードルがあるそうだが、ディレクとしてはこの事態は好ましくないことではないだろうか。

私の運営した会議は「宇宙」というニッチな分野を扱ったこともあり、同様の会議が近いうちに実施されることはないのかもしれないけれど、例えばCOPや核問題というのは、毎年恒例でどこかで実施されている会議であり、もし各代でのブラッシュアップが行われず、結局HPや文献からのコピペを繰り返しているのならば、労力の無駄な消費になっていると言えるだろう。戦力の逐次的投入とも言える。この状況は好ましくない。


昨今、このような状況を解決すべく、BGデータベースの作成が急がれているそうだ。その出現を待つとともに、それまでの暫定措置として、Dropboxを使用してBGデータを集積することを提案したい。ディレクの本懐は、ディレクの協同作業によってのみ、初めて達成される、集合行為なのだから。



※1 モギコッカーとは、日本の模擬国連会員を指す俗称。