さぁ、過激な文書の始まりだ。過激ゆえに、期間限定公開にしたいなぁ、と思っている。(批判・反論は大歓迎)
祭る文といえば、幸徳秋水の「自由党を祭る文」が有名だ。これだけで、私が何を言いたいか、だいたい分かるだろう。
要するに春会議とプロシージャーが死んでいる、と言いたいのだ。
(ちなみに、関西圏で、だ)
春会議は、私が新メンの頃から違和感を持っていた仕組みで、関西の(次期)旧メンのレベルアップを図るというのが大まかな趣旨なようなのだが、どうも納得いかないことがあった。
1)運営主体
もし次期旧メンのレベルアップが趣旨なのであれば、できればこの運営は(次期)老メンか(次期)神メンが扱うべきであろう。議題リサーチなどが大変かもしれないが、レベルアップの観点から言えば、以前の議題の焼き増しで対応可能と思われる。
新歓前に、運営とdelegatesの二足わらじを履くべきではない。
2)目的
そして、最も春会議でブレていると3年間感じ続けていることが、企画の目的だ。次期旧メンのレベルアップと言われているが、その内実が問題なのだ。
一応昨年度の話をしたいが、レベルアップの内実は、2点に集約されていたと感じている。
(A)ファシリテートのレベルアップ
(B)運営のレベルアップ
(A)についてだが、この時期の新執行部は、まず会議が成り立つことを優先させたいようだ。
その事情は分かる。
ただ、問題にしたい点として、「ファシリテートとは何か」という問いがまったく発されていないことだ。
私見によれば、昨今の関西圏模擬国連において、「ファシリテート」=挙手当て、といった認識がなされている。
しかしこれは間違いだろう。
ファシリテートとは、いわば議論の交通整理役だ。中立的立場から、議論の促進を図らなければならない。
その場合、白板のグラフィック=デザインやその他諸々の手段を通して、上手く会議のゴールをデザインすることが必要だろう。
さて、このファシリテーション、次期旧メンに必要な能力なのか、ということが問題になる。
私の答えとして、「あってこしたことはない」と言っておこう。だが、無くてもなんとかなる。
ファシリテーション能力が向上しなかった場合に可能な2つのやり方を提案しよう。
1、グルーピング・リーダーシップで代替する
そもそも全体で統合的な議論をやらない、という方法である。超曖昧な時間軸だけ設定して、あとはグループの各リーダーシップに任せ、DR/AMへの賛否は最終投票で意思表示させるというものだ。
投票結果が全会一致にはなりそうにないやり方なので、この方式は反対する人が多いだろう。
(最近、コンセンサスありきの会議方式が主流だと思われるので)
2、議長がファシリテーションを行う
会議の議長が次期老メン/神メンであることを鑑みれば、議長がファシリテーションを行うことが最も適当だろう。そもそも、国家間交渉においてとある国がファシリテーションを行うというのは、極めて難しいことである。
歴史をさかのぼれば、かの有名な鉄血宰相ビスマルクが「忠実な仲介人」を称し、ベルリン会議のファシリテーターを務めたが、
この実績は、ビスマルクが全ての国から誹謗中傷を受けた点から優れていると言える。
皆さんには、今の上の文書がおかしいように見えるだろうか?
私個人としては、矛盾がないと考えている。
当時の勢力均衡的考えや、国際関係論の基本的理解からすれば、会議の促進役が「よかった」と言われることが
国際社会の決定的対立を招くことは、自明ではないだろうか。
実を言えば、最近の模擬国連の「ファシリテーター」は、「よかった」と言われることを目指すきらいがあると思っている。
中立性を守ろうとして。
だがそれは、結局議論を進展させていないか、もしくは国際社会の対立を招く結果をもたらしていることが多いだろう。
さらに、ファシリテーターがどうやって議事進行を自分の国益につなげるか、などといった議論を聞いてびっくりすることがある。
ファシリテーターが自分の利益を追求するようになって、会議が成立するはずがない。
その人はファシリテーションの意味を間違えて認識しているか、「ファシリテーション」しているか、どっちかだろう。
こういった直近の事例を鑑みれば、議長がファシリテーションを行うことが、人材を活かす意味でも、ファシリテーションの本来の意味を取り戻すためにも、有益だろう。(ぶっちゃけるけれど、会議中、議長は暇である)
以上、ファシリテーション能力を春の時点で確立する必要性は無いし、それよりもっと別の要素を高める必要があると思っている。その別の要素とは、例えば文言を書くことだったり、リサーチをどうするかということだったり、様々だ。
新執行部はこの時期、どうしても次の代を担うということで緊張するだろうが、会員の隠れたニーズはファシリテーション能力を高めることではないのでは、と疑問提起しておこう。
さて、(B)に移ろう。運営の話だ。
京都研究会と神戸研究会は、ここ数年人数比が変動しており、直近ではほぼイーブンな形になった。
そうなると、運営の育成の話になるが、執行部のシステムが異なるため、両研究会の運営を同時に育成するのは非常に難しくなっているのではないだろうか。
昨年度は両研究会合同で運営を行ったようだが、運営活動の定位置(BOX)を持たない神戸研究会は、新歓活動をかなり早くから始めるため、運営に人的資源を取られ、大変だったと聞いている。もし運営の育成が必要なのであれば、この点に配慮することが大事であろうと考える。
さらに、運営に力を入れると、やはりdelegates能力の育成という面がおざなりになることも逃せない。運営に傾注すると、当然会議準備が疎かになる。そういった状態で会議をやっても、能力アップにはならないだろうし、むしろ通常会議で執行部メンバーが会議内容に手抜きする悪しき前例を作ることになると考えている。これは逆効果だ。
小括すると、
・春会議に関して、出来る限り早期に、目的を再構築すること
・両研究会の会員の(隠れた)ニーズをくみ取ること
・次期旧メンが会議に全力を出せるような構造にすること
この3点が大事だろうと考える。
関東のことはよく知らないが、確か同時期に老/神が3つほど議題を準備して会議を開いていたかと思う。
関西大会が存在するので同列には扱えないが、一度考えてみるとよいのではないだろうか。
ここまで予想以上に長くなったので、プロシージャーに関しては軽く触れる。
プロシージャーが最近問題だ。何が問題かといえば、合理的じゃなくなりつつある。
主な点を2つ挙げる。
(A)作業文書
(B)Point of Information
この2つは両方とも悪用されすぎている。日本独自で実施しているルールであり、海外の大会や国連のプロシージャーには存在しないから、当然かもしれないが……
(A)についてだが、どうも最近、スピーチの代替として使用されている。これはスピーチの意義を無効化するものだ。
また、作業文書が公式文書と扱われることを利用して、グループの意思を国際社会に表明する、というやり方を取ることがある。
(DRのスポシグが足りないとき、DRの提出をミスしたとき、など)
これは邪道すぎる。「国益達成のため……云々」と言う人がいるが、これはルールとして禁じられるべきだろう。DRの意義を貶めるからだ。
また、作業文書自体の数が増加傾向にあることも指摘したい。読まないぞ、誰も。
(B)のP/Iだが、問題にしたいのは、例のyes/no questionだ。
最近、明らかに誘導尋問な傾向が強い。yesかnoかで答えにくいような質問も多い。
このルールは、そもそもスピーチの内容を補完するために作られたものだと推測でき、その趣旨から最近の実用例は大幅に外れている。
答えるのが外交儀礼だ、といった慣習があるが、それはおかしい。
この2つの解決策は、議長権限を高めることだ。
プロシージャーの趣旨に不適切な作業文書には、フロントがサインしなければよい。
不適切なP/Iも、議長が「その質問は不適切なので回答しなくてよい」と言えばよい。
プロシージャーの改訂も解決策だが、それが実施されるまでの暫定手段は、議長が議会運営の一環として
これらのルール悪用を取り締まることだろう。
OBの方からは、そのような議長のやり方が以前は行われていた、と聞いている。
春会議とプロシージャーの話をここまで行ったが、私の最終結論は、議長の扱いをどうにかしなければならない、ということだ。
議長がただの置物(と言っては失礼だが……)である現状では、「ファシリテーター」なる奇妙奇天烈な存在を是認しなければならないし、その存在が前提となるならば、旧メン内にそのことができる人を作らなければならない、といった奇妙な焦りを生み、結果として模擬国連への魅力を失う人が出てきている(かもしれない)。また、プロシージャーの悪用も防ぐことが出来ない。
議長=ファシリテーターとなれば、少なくとも新歓時期に能力アップを目標とした春会議を開くことは、十二分に可能だと思っている。また、そのほうが模擬国連活動が上手くいくだろうという持論を持っている。
(批評のコメントお待ちしています。)
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